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マイクロイオンビームで細胞内の生体機能を解明する




図9-8 大気マイクロPIXE分析システムの概念図

マイクロイオンビームは真空と大気を隔てる有機薄膜を透過してすぐに生体試料に入射します。入射時におけるビーム幅の広がりを最小限とするため、試料は薄膜の大気側の面に接着されています。試料背後に置かれた透過粒子検知器によって試料像を同時に把握できます。



図9-9 放射線照射したヒト白血病細胞のマイクロPIXE分析で得られた鉄元素濃度分布

ヒト白血病細胞の形状は同時検出で得たカルシウム元素の等高線で示され、内部にアポトーシスを決定づける電子伝達体の存在を示唆する鉄元素の集積が捉えられています。細胞にはコバルト60のγ線で5 Gy照射されています。




 イオンビームの物質照射で二次的に放出される特性X線のスペクトルはその物質元素特有の電子構造を反映しますが、これを利用して電子ビームよりもずっと高い感度で物質に含まれる微量元素を分析することができます。この分析方法はPIXE(ピクシー)の名称で知られ、幅広い学術分野で利用されています。とくに生体に取り込まれている微量な重い元素の存在は生命にとって有害な場合もあれば、それとは逆に生物機能にとって必要不可欠な場合もあり、これらの観点からPIXE分析は医学や生物学における新しい重要な研究手段となりつつあります。
 しかし、通常サイズのビームによる元素分析では、問題としている重元素が微視的には生体中のどこに取り込まれているのかわかりません。微量元素と生体機能との関わりを解明するためには、細胞内部の微量元素分布を測定できるマイクロビームが必要とされます。このため私たちは世界最高レベルの分解能を誇る水素イオンマイクロビーム技術をもとにして細胞内微量元素の分析技術の研究を大学と共同して進めています。
 分析試料は通常真空中で照射されるため生体試料では試料元素の蒸発が厄介な問題です。それを防ぐために大気中にビームを取り出した上でなお1ミクロンの分解能で試料に走査する技術を開発しました。また、ビーム走査位置とX線の同時計測システムを開発し、細胞内部の元素分布を二次元で画像化する技術を開発しました(図9-8)。
 この技術を応用して放射線照射したヒト白血病細胞のプログラムされた自殺(アポトーシス)を決定づける細胞内の電子伝達体であるシトクロム-Cの存在を示唆する鉄元素の細胞質への集積を捉えることに成功し、アポトーシス機構の解明への道を切り開きました(図9-9)。
 このように生体中での微量元素の動きを追跡する技術の高度化を通して細胞レベルでの代謝機構や抗がん剤等の細胞内への取り込みの研究が容易となりましたので、本技術は生物学や医学の研究に威力を発揮するだけでなく、さらには臨床応用への可能性も期待されています。



参考文献
K. Ishii et al., Elemental Analysis of Cellular Samples by In-Air Micro-PIXE, Nucl. Instrum. Methods, Phys. Res., B, 181, 448 (2001).

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たゆまざる探究の軌跡−研究活動と成果2002
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