8-2

低温域で起こる新しいポジトロニウム形成過程を発見
―放射線誘起の浅く束縛された電子の役割―




図8-3 77Kにおけるシクロヘキサン中のオルソー

ポジトロニウム形成収率(全ポジトロニウム形成の75%)の陽電子消滅寿命測定時間依存性(●;暗黒中、○;可視光下)低温暗黒中では準安定化電子が入射陽電子によるイオン化で形成、蓄積されていき、その結果、右の図に示すような新しいポジトロニウム形成が増えていきます。右図に示すように可視光によって準安定化電子は消えていくので、従来のポジトロニウム形成による成分のみ(約16%)が残ることになります。



図8-4 物質中のポジトロニウム形成機構

従来のポジトロニウム形成は過剰電子と熱化陽電子との反応で、数ピコ秒までに多くが起こっていると考えられています。新しいポジトロニウム形成は低温暗黒中で入射陽電子のイオン化などで形成される準安定化電子が蓄積され、従来のポジトロニウム形成を逃れた陽電子が拡散し、準安定化電子を見つけることで起こります。そのため、左図に示すように徐々に増加していきます。また、拡散後に起こるため、数百ピコ秒後でも形成が見られます。




 陽電子とは電子の反粒子で、質量は電子と同じ、電荷が電子と逆で正です。その陽電子と電子が結合した状態をポジトロニウム(Ps)と呼びます。電子は通常自由な状態では存在せず、原子や分子の中の軌道内に存在します。これら電子を自由な状態にするために必要なエネルギーがイオン化電位で、通常真空中で十数eV程度です。それに対しPsのイオン化電位は6.8 eVです。つまり、電子は原子・分子内の方がより居心地が良く、その結果、陽電子を原子・分子の近くにおいても電子を引き抜いてPsを形成することはできません。しかし、陽電子を分子性固体・液体や高分子などの物質中に入射するとPsが形成されます。これは次のように説明されます。陽電子の入射エネルギーによって物質内の分子がイオン化され電子が放出されます。このような電子を過剰電子と呼びます。過剰電子は、陽電子が止まる(熱化する)近くでも多く存在します。陽電子がこの過剰電子を捕まえればPsが形成されます。これが従来より広く受け入れられているPs形成機構で、数ピコ秒で起こっていると考えられています。
 1980年代に低温域(物質によるが170〜220K以下)でPs形成収率が測定開始後ゆっくりと増加する現象(図8-3)が見られ、左で述べたような従来のPs形成過程ではうまく説明できませんでした。低温域では分子運動がだんだん凍結されていき、過剰電子は0.5〜3 eV程度のトラップサイト(図8-4内U型のポテンシャル)に捕まり、準安定な状態で長時間存在できるようになります。このような電子が存在すると、左で述べたような従来のPs形成を逃れた陽電子もその後拡散し、これらの電子を見つけられれば、トラップサイトから電子を引き抜いてPs形成が可能になります(図8-4)。これが、新しいPs形成です。準安定化電子は可視光によって解放され、図8-4の右下に示したように消えます。その結果、可視光を照射すると新しいPs形成の成分が消え、従来のPs形成のみが見られます(図8-3)。また、従来のPs形成がピコ秒程度であるのに対して、新しいPs形成は数百ピコ秒でも可能であると考えられ、これも実験で確認されました。
 この結果、10年以上の間、明らかでなかったPs形成機構を解明すると共に、特に高分子分野におけるPs形成に関する解釈(一部教科書などにも採用されている)が誤りであることを示し、また、新しい研究分野を開拓し、現在もさらに研究を行っています。



参考文献
T. Hirade et al., Positronium Formation at Low Temperatures: The Role of Trapped Electrons, Rad. Phys. Chem., 58, 465 (2000).

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たゆまざる探究の軌跡−研究活動と成果2003
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