水は原子力分野から生命科学分野まで幅広く登場する重要な化学種ですが、通常の物質にはない特異な性質があります。例えば、水の「異常な」性質の一つとして、比熱が温度や状態で大きく異なることが知られています。融点0 ℃で氷から水になると比熱は約2倍と大きくなりますが、沸点100 ℃で水から水蒸気になると比熱は約1/3と逆に小さくなります。通常の物質に比べて水は非常に大きな比熱(約4.19 J/gK,1 cal/g℃)を持っており、温度によってあまり変化しません。一方、氷や水蒸気の比熱は水よりも小さいですが、温度によって著しく変化します。氷も水蒸気も高温になるほど大きくなる傾向があります。また、重水は軽水に比べると比熱が単位モルあたりで約10 %ほど大きいことが知られています。以上のような事実は、分子論な立場からは一体どのように理論的に説明できるのでしょうか。
図10-7のように、水は水素と酸素からなっており、分子間で水素原子を介した弱い結合(水素結合)を形成します。液体の水では水素結合の生成消滅が時々刻々繰り返されており、複雑な運動をしています。また、軽い元素である水素原子は量子力学的な振る舞いをします。これらが比熱に影響を与えることが予想されますが、これまで理論的なシミュレーションによって実際に確かめられたことがありませんでした。そこで本研究では、分子動力学シミュレーションによって水の三態の比熱について定量的な解析を行いました。
この研究から分かってきたことは、水の比熱には二つの重要な因子があるということです。一つは水素結合の「強さ」です。氷や水の凝集相では、温度が高くなればなるほど各々の水分子の熱振動が大きくなり、水素結合が弱まります。比熱の大きさは外部から熱が加えられたときにどれだけ分子がエネルギーを吸収するかで決まりますが、氷の場合は水素結合が強固なので熱は水素結合を振動させるだけであまり吸収しません。一方、液体の水では水素結合を大きく変形又は切断させることでエネルギーをより多く吸収できます。つまり、水素結合が「熱溜」の役割を担うことにより比熱が大きく、また一定に保たれます。しかし、気相の水蒸気では水は孤立分子として存在し、水素結合そのものが消えるため、「熱溜」の担い手が少なくなって比熱は小さくなります。
もう一つの因子は、低温になるにつれて水素結合に働く力学が古典力学から量子力学に変化してゆくことです。この水素結合の「量子性」は外部から熱を吸収しにくくする傾向があります。これは、量子振動の準位がとびとびになり、熱励起しにくくなるからです。したがって、低温側で比熱は減少する傾向にあります。
水が実際に示す比熱は、水素結合の「強さ」と「量子性」という二つの因子によって実現されているのです。なお、軽水と重水の間の比熱の違いも、この因子から説明することができます。