図4-27 実験(a)及びシミュレーション(b)によって得られた過渡電流波形
図4-28 酸素イオン(100MeV)が半導体に入射した後の電界強度分布
図4-29 酸素イオン(15MeV,100MeV,1GeV)により誘起される過渡電流波形のシミュレーション結果
人工衛星や宇宙ステーションの中枢を担う半導体は、常に宇宙放射線にさらされています。特に、銀河宇宙線に含まれる高エネルギー重イオン1個が半導体に当たることで、素子内に発生した電荷が雑音電流(過渡電流)となり、回路の溶断やデジタル情報の反転などの故障や誤動作が引き起こされます。これらはシングルイベント現象と呼ばれ、私たちはその全容を明らかにすることを目的に、微細なダイオードやトランジスタに重イオン1個を照射し、素子内に作り出される過剰な電荷を過渡電流の形で測定しています。実験では、従来のタンデム加速器に加え、宇宙環境の高エネルギー重イオンを模擬できるAVFサイクロトロンを利用して、ダイオード中に誘起される過渡電流の計測を行いました。結果の一例として、6〜100MeVの酸素イオンが誘起する過渡電流を図4-27に示します。更に私たちは、その発生原因を突き止めるため、従来の円筒状ではなく、イオンと物質の相互作用を考慮した漏斗状の誘起電荷分布を、シナプシス社製のデバイスシミュレータ(TCAD)に入力することで、精度の高い数値シミュレーションを実施しました。この結果、過渡電流を時間積分して得られる電荷量は、実験とシミュレーションで10%以下の誤差で一致しました。
100MeVの酸素イオンが半導体に入射することで生じる電界の変動をシミュレーションしたところ(図4-28)、数ns(1ns=10億分の1秒)という非常に短時間に、電界が激しく乱れることが明らかになりました。更に、過渡電流はアンバイポーラ拡散電流,ドリフト電流,拡散電流からなり、各々の寄与は入射エネルギーに依存することを突き止めました。つまり、15MeVでは(1)アンバイポーラ拡散電流とドリフト電流の和、(2)ドリフト電流から過渡電流が構成されるのに対し、100MeVでは(1)アンバイポーラ拡散電流とドリフト電流と拡散電流の和、(2)ドリフト電流と拡散電流の和、(3)拡散電流から構成されるようになります(図4-29)。同様の手法により、宇宙環境に存在するGeV級の重イオンによる過渡電流をシミュレーションしたところ、アンバイポーラ拡散電流はもはや流れず、ドリフト電流と拡散電流のみが過渡電流に寄与すると予測できました。
このように、実環境を模擬した高エネルギーイオン照射実験とシミュレーションを精度高く行うことで、非常に短時間にダイオード中で引き起こされる複雑な電荷の動きを正確に把握できるようになり、シングルイベント現象の全容解明に向け大きく前進しました。