4-11 たった10個の重イオンが100万個の細胞に引き起こす照射効果

−重イオンマイクロビームでバイスタンダー効果の機構に迫る−

図4-24 バイスタンダー効果

図4-24 バイスタンダー効果

照射細胞から放出された照射情報伝達物質が近傍のバイスタンダー細胞に伝達され、バイスタンダー細胞にも照射効果を引き起こします。

 

図4-25 バイスタンダー細胞で活性化される遺伝子の網羅的解析

図4-25 バイスタンダー細胞で活性化される遺伝子の網羅的解析

100万個の細胞の中のごく一部に極めて少数の重イオンをマイクロビーム装置で照射し、照射前細胞と比べて活性化や抑制が起こる遺伝子をマイクロアレイ解析で網羅的に調べました。わずか10個のイオンの照射で照射されていないバイスタンダー細胞にも大きな遺伝子発現の変化が見られます。しかもそのパターンは照射細胞と全く異なっていました。

生物が持つ形や機能は、生物を形作る個々の細胞が持つ機能とそれらの細胞間の相互作用によって実現されています。このような細胞間相互作用は、生物の放射線応答でも起きていることが近年明らかになってきました。バイスタンダー効果と呼ばれるその現象では、放射線に照射された細胞から放出された照射情報伝達物質が、近傍の照射されていない細胞(バイスタンダー細胞)に作用し、その細胞にも照射効果を引き起こします(図4-24)。

高LET(線エネルギー付与)の重イオンは、高い生物作用を示すため、その線量集中性の良さとあわせて、放射線がん治療への応用が進められています。重イオンは、宇宙放射線にも含まれており、その生体に対する低線量被ばく影響を解明することは、治療のみならず将来の有人惑星間飛行の実現のためにも大事な課題です。低線量重イオン被ばくでは、高LET重イオンによるエネルギー付与の時間的・空間的離散性が極めて顕著であるため、バイスタンダー効果の寄与が大きくなります。そこで、私たちは、重イオンマイクロビーム装置を開発し、重イオン誘発バイスタンダー効果の機構解析を進めてきました。この装置は、細胞試料の任意の位置に決められた個数のイオンを狙って照射することができるため、照射細胞とバイスタンダー細胞を区別して照射効果の解析を行うことができます。

ヒト正常線維芽細胞をマイクロビーム照射容器に高密度培養し、細胞間での照射情報伝達が可能な試料を作製しました。この約100万個の細胞が含まれている照射容器内の細胞集団に、1箇所10個,5箇所50個,あるいは25箇所250個の炭素イオンをマイクロビームで照射しました(図4-25)。イオンを照射した細胞試料から、遺伝子発現産物のmRNAを回収し、遺伝子発現を網羅的に解析できるマイクロアレイ解析法で照射によって発現量が1.5倍以上変化した遺伝子を検索した結果、ブロードビームで細胞集団全部を照射した試料では、アポトーシス関連遺伝子など、既知の放射線応答遺伝子の発現変化が認められました。一方、細胞集団のごく一部だけをマイクロビーム照射したバイスタンダー細胞試料では、これと異なる遺伝子群が活性化していました(図4-25)。今後、活性化したこれらの遺伝子が放射線照射シグナル伝達に果たす役割を調べていくことで、低線量重イオン照射が生物に与える影響を解明していきます。