6-7 高輝度陽電子ビームの実現で見える物質最表面の新しい世界

−陽電子全反射回折で解明される最表面ダイナミクス−

図6-13 高輝度陽電子ビームを用いて世界で初めて得られた表面超構造の陽電子回折パターン

図6-13 高輝度陽電子ビームを用いて世界で初めて得られた
表面超構造の陽電子回折パターン

各種の表面超構造に対して、世界で初めて得られた陽電子回折パターンです。Si (111)-7x7:Si(111)表面が高温で融解した後の冷却過程でできる表面、Si (001)-2x1:Si(001)表面が高温で融解した後の冷却過程でできるの表面、Si (111)- √3×√3-Ag:Si (111)表面に一原子層の銀原子を吸着させることでできる表面、Si (111)- √21×√21-Ag:Si (111)- √3×√3-Ag表面に0.14原子層の銀原子を吸着させることでできる表面です。

図6-14 Si表面上の銀吸着超構造の全反射回折強度の温度変化

図6-14 Si表面上の銀吸着超構造の全反射回折強度の温度変化

Si表面に銀原子を一原子層)吸着させることで、本来はない新しい構造をもった銀吸着超構造が形成されます。この表面の陽電子全反射回折強度の温度変化を調べた結果、116 Kという相転移温度を境に強度が劇的に変化することが分かりました。詳細な解析から、この相転移が秩序無秩序型であるとすることで、説明できることが初めて明らかになりました。

陽電子は電子の反粒子です。静止質量やスピンは電子と同じですが、電荷は反対にプラスになっています。このため、陽電子は物質から反発力を受けます。よく絞られた平行な陽電子ビームを物質表面にすれすれの角度で入射させると、陽電子は物質内部に侵入せず表面で全反射回折を起します。陽電子の全反射回折強度は表面ポテンシャルに敏感になるので、これより表面に関して詳しい知見が得られます。

陽電子ビームの全反射回折を観測するためには、ビームの平行性とエネルギー均一性を向上することで輝度を高めることが必要です。これは、表面で回折された陽電子の波が互いに干渉してできる原子配列に応じた回折パターンを得るために必要不可欠です。そこで私たちは、従来は平板電極を用いて簡便に行われていた陽電子ビーム発生方式と静電レンズによる収束方式を改善しました。即ち、多段の円孔電極から構成されるレンズ系によって陽電子ビームを発生させ、電子顕微鏡と類似の磁界レンズを用いてビームを収束しました。これらにより、ビーム平行性とエネルギー均一性が向上し、ビーム輝度を従来よりも十倍以上に高めることに成功しました。この高輝度陽電子ビームを用いることで、これまで困難であった表面超構造(表面原子が再配列することでできる本来はない周期性をも持つ表面)の陽電子回折パターンの観測に世界で初めて成功しました(図6-13)。さらに、従来は不明であった現象が解明されつつあります。以下に一例として銀を吸着させたSi表面の相転移の研究を紹介します。

清浄なSi表面に一原子層の銀原子を吸着させると、本来はない周期性をもった銀吸着超構造が得られます。これまで表面構造の決定に利用されてきた電子回折やX線回折では、表面敏感性が乏しいため、表面に吸着した銀原子の配列を精密に決定することができませんでした。温度変化に伴う相転移についても、複数のモデルが提案されていて、どれが正しいか分かりませんでした。そこで、私たちは表面に吸着した銀原子に敏感な陽電子全反射回折強度の温度依存性を調べました(図6-14)。ここで、(0 0)、(1/3 1/3)そして(2/3 2/3)は、銀原子で回折された陽電子の波が互いに干渉することでできる回折スポットに付けられた番号です。これを見ると、特に(1/3 1/3)スポット強度が116 Kを境に劇的に変化することが分かりました。これは116 Kで相転移が起こることを示していますが、電子回折やX線回折による研究から提案されていたモデルでは、この結果は説明できないことが明らかになりました。詳しい解析の結果、私たちは、116 K以下では秩序的に配列していた銀原子が、116 K以上では別の位置にジャンプし、その配列が無秩序になる(秩序無秩序相転移)と考えると、実験結果が矛盾なく説明できることを発見し、これまでの論争に決着をつけました。

このように、私たちは、陽電子全反射回折の観測を通じて、高輝度陽電子ビームが物質表面の新たな側面を解明する上で役立つことを実証しました。