4-2 イオンビームによる植物の生長制御機構の解明

−植物ホルモンに対する感受性を制御する遺伝子SMAP1の発見−

図4-4 変異体の特徴

図4-4 変異体の特徴

合成オーキシン2,4-Dを含む培地で育てると、野生型では根が短くなり多くの側根ができますが、イオンビーム変異体では根が長く側根はできません。

 

図4-5 オーキシンの構造

図4-5 オーキシンの構造

インドール酢酸(IAA)と2,4-ジクロロフェノキシ酢酸(2,4-D)は、バイオテクノロジーや農業の分野でもよく利用される植物ホルモンであるオーキシン(総称)に属しています。

 

図4-6 いろいろな生物のSMAPのアミノ酸配列
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図4-6 いろいろな生物のSMAPのアミノ酸配列

シロイヌナズナのSMAPと他の生物のSMAPの配列の一部を並べて比較しました。赤く色付けしたものはアミノ酸が完全に一致するもの、オレンジ色はほとんど同じであるアミノ酸を表しています。

生物に放射線を当てると、生物の持つDNA配列に変化が起き変異体ができます。イオンビームはγ線などに比べその局所的に与えるエネルギーが大きいため、比較的大きなDNAが欠失したり移動したりするのが照射効果としての特徴です。そのため、イオンビームの利用により、これまでにない新しい変異体が創出でき、植物育種の分野で大きな成果を挙げてきました。

変異体の誘発は、基礎科学分野でも大変有用です。植物の生長制御機構の解明にも多くの変異体が利用されています。しかし、研究が進展すればするほど、より多くの変異体が必要になり、従来の化学物質などの変異原から分離が可能な変異体だけでは不十分になってきているのが現状です。そこで私たちは、イオンビームの特徴を活かし、植物の生長制御機構の解明に役立つ新しい変異体の単離を試みました。

イオンビームで照射した種子の子孫から得られた約3万個体のシロイヌナズナから、植物の生長や分化をコントロールしている重要な植物ホルモンであるオーキシンに対する応答が特異な変異体の分離を試みました。その結果、オーキシンのうちインドール酢酸(IAA)という分子には正常に反応するけれども、2,4-ジクロロフェノキシ酢酸(2,4-D)という別の分子には反応が弱いというこれまでにない特性を持つ変異体を発見しました(図4-4,図4-5)。DNAを調べてみると、この変異体にはイオンビームによると思われる約44,000塩基対の欠失がありました。この欠失領域には10個の遺伝子が存在していたのですが、欠失領域のDNAを小さく切断し、変異体に導入し、野生型に回復するものを探すことにより、この特異なオーキシン応答に関与している遺伝子を特定しました。この遺伝子は比較的小さな酸性タンパク質を暗号化していたのでsmall acidic protein1(SMAP1)と名付けました(図4-6)。興味深いことに、SMAP1遺伝子と類似した遺伝子は、植物のみならず動物ゲノムにも広く存在していることがデータベースから明らかとなり、SMAP遺伝子が生物進化の過程で保存されてきた重要な役割を担う未知の機構に関与していることが示唆されました。これまでSMAP遺伝子の機能についてはどの生物においても解析が全くなされておらず、イオンビームによる今回の発見で、この遺伝子の生長制御における重要性が初めて認識されました。今後は、この遺伝子が暗号化しているタンパク質が、どのような分子メカニズムでオーキシンによる生長を制御するのかといった疑問や、植物以外の生物におけるSMAP遺伝子の役割について探究していく予定です。