3-2 グラフェンの電子スピン状態を解明

−原子レベルの極薄物質のスピン物性研究と素子応用に道を拓く−

図3-4 測定手法の概念図

図3-4 測定手法の概念図

低速のスピン偏極準安定ヘリウムを試料表面に照射するとヘリウムは試料内部へと侵入することなく表面で跳ね返されます。この間にヘリウムはグラフェンから電子を受け取り、代わりにヘリウム中の電子を放出します。この電子の移動はヘリウムとグラフェンの電子スピン状態が特定の対応関係の場合のみに生じます。そのためスピン偏極準安定ヘリウムを照射した際に放出される電子を計測することでグラフェン表面のスピン情報を高感度に検出することができます。

 

図3-5 グラフェン/ニッケルのスピン非対称率

図3-5 グラフェン/ニッケルのスピン非対称率

横軸は、ニッケルやグラフェン中の電子が持っているエネルギーに相当し、破線枠内の領域は伝導電子の状態を示しています。縦軸は電子スピンの偏りを反映しています。スピン偏極していない場合には偏りは0%となります。グラフェンとニッケルの接合を形成すると、グラフェンの伝導電子にスピン偏極が生じることが明らかになりました。さらに、ニッケルとはスピンの偏りの向きが逆になることが分かりました。

半導体や金属による従来のエレクトロニクスは、近い将来に微細加工プロセスに頼った発展が限界に至ることが予想されています。これに対して、電子の磁気的性質であるスピンを利用したスピントロニクス技術により低消費電力で高機能を有する素子の実現が期待されています。黒鉛を形成する原子1層のシートから成る極めて薄い物質であるグラフェンは、スピン情報の伝達に適した性質を有することから、エレクトロニクスにおけるシリコンのように、スピントロニクスにおける基盤材料としての役割が期待されています。

グラフェンをスピントロニクスに用いるためには、電子スピンの注入、輸送及び検出などのスピンの状態を制御する技術が必要になります。なかでも磁性電極と直接接合させてスピンを注入する技術の開発は重要な課題となっています。同技術の開発を進めるためには、まず電極となる磁性金属と接するグラフェンの電子スピン状態を明らかにする必要があります。しかし、通常のスピン状態の観測手法では、グラフェンからの計測信号が接する相手(磁性電極)からの強い信号に埋もれてしまい、グラフェンのみの電子スピン状態を調べることが困難でした。

本研究では、磁性金属の表面をグラフェンで被覆したグラフェン-磁性金属接合体に対して、表面の1原子層のみの情報を検出できるスピン偏極準安定ヘリウム(スピン情報を有する寿命の長い励起した状態にあるヘリウム原子)のビームを照射することで、グラフェンのスピン状態を直接的に観測することを試みました(図3-4)。

グラフェン-磁性金属接合は、磁性金属のニッケル薄膜の表面にグラフェンを化学的に成長させて作製しました。図3-5にグラフェン-ニッケル接合におけるグラフェンのスピン状態の観測結果を示します。磁性金属と接合していないグラフェンではスピン偏極は現れませんが、ニッケルとの接合によりグラフェンの電子にスピン偏極が生じることが明らかになりました。具体的にはグラフェン中に多数存在する電子のうち、伝導電子(素子の動作などの電気特性に係る電子)のスピンの状態が、接しているニッケルからの影響を強く受けることが分かりました(図3-5の内)。さらに、電子スピンの偏りの符号がニッケルとグラフェンで逆になることが分かりました。これはグラフェンへのスピン注入を考える上で重要な知見といえます。このように、磁性金属との接合がグラフェンのスピン状態に与える影響を解明することができました。

本研究成果は、これまで困難であった種々の極めて薄い物質のスピン状態の検出を可能にし、スピン物性の研究や素子開発を大きく進展させるものです。グラフェンへの高効率スピン注入などスピントロニクス技術が大きく進展することで、より高機能・省電力なスピントロニクスデバイスの実現につながるものと期待されます。

本研究は、独立行政法人物質・材料研究機構及び中国科学技術大学と共同で実施しました。