図4-9 陽電子消滅寿命測定に用いた試料
図4-10 陽電子消滅寿命による評価結果
図4-11 吸蔵水素量による評価結果
自動車用の鋼板などにも用いられている高強度鋼(焼 戻しマルテンサイト鋼)は、変形が残らない程度の力で は通常破壊しませんが、多量の水素が存在すると100時間程度でも破壊してしまいます。この水素によって脆くなる現象を水素脆化と呼びますが、その機構の解明は進んでいません。それは、水素の挙動に関する実験が難しいことが一つの要因です。破壊までの過程で鋼中の原子の並び方(結晶構造)に変化が生じ、原子が並んでいる面にしわ(転位)がよったり、原子が抜けてできる穴(空孔)が開いたりします。これらを総称して欠陥と呼びます。今回、欠陥の測定に用いたのは、陽電子が鋼中の電子と消滅するまでの時間を測定する陽電子消滅寿命測定法と、鋼中に浸み込んでいる水素(吸蔵水素)の量で評価する昇温脱離分析法です。
陽電子は効率良く欠陥を見つけて、欠陥の部分に広い 空間があるほど、消滅までの時間(寿命)が長くなります。その結果、転位のようなものよりも、空孔が開いている方が寿命が長くなり、空孔が集まって大きな穴(空孔クラスター)になると、さらに寿命は長くなります。水素が鋼中にあるときとないときに、引張強さの70%の力を75時間かけたもの(図4-9)を陽電子消滅寿命で評価しました。図4-10のように、水素があるときだけ陽電子消滅寿命が長くなり、空孔ができていることが分かりました。また破断部付近ではさらに陽電子消滅寿命が長くなることから、さらに大きな空孔クラスターができていることが分かりました。
一方、鋼中の水素は、欠陥がなければ外に出て行って しまいますが、欠陥が存在するとそこに吸着されなかなか出て来なくなります。転位や空孔などに吸着された水素も、温度を高くすると出てきますので、温度を上げたときに出てくる水素の量は、そのまま、鋼中の欠陥量を示します。図4-11に示すように、力をかけ始めたときに、最初からあった転位の一部が消えることで欠陥量の減少が見られますが、その後、破壊までの間、単調に欠陥が増えていることが分かります。
本研究により、水素脆化による破壊現象が空孔などの欠陥形成に支配されていることが示されました。本研究は産業技術総合研究所,上智大学とともに行ったものであり、日本鉄鋼協会平成25年度澤村論文賞,文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム平成25年度秀でた6大利用成果の優秀賞を受賞しました。