図5-15 面心立方構造を持つ重水素化鉄の構造モデル
図5-16 988 K,6.3 GPaにおける中性子回折プロファイル
金属に溶け込んだ水素の量やその占有位置は、材料中の水素拡散や水素化物の安定性など金属−水素系の特性を理解する上で基本的な情報です。特に鉄などの金属中の水素は、微量でもその機械的性質を変え、また、高濃度になると結晶構造や物性を変えることが古くから知られています。しかし、鉄に水素が高濃度に存在する状態は数GPaの高水素圧力下でのみ実現されるため、結晶格子中の水素の占有状態を実験的に調べることが困難でした。私たちは水素を直接観察することができる中性子を利用して、鉄中に高濃度に存在する水素の状態をその場観察しました。
J-PARC物質・生命科学実験施設のBL11超高圧中性子回折装置PLANETでは、数GPa,数百Kを超える高温高圧力下でのその場中性子回折測定が実施可能です。これまでに私たちが培った放射光X線を利用した高温高圧力下水素化反応測定技術を基にして、PLANETに設置されている大型プレス装置で使用する中性子回折用試料容器を開発しました。中性子回折実験では水素よりも重水素の方が構造解析に適した回折プロファイルが得られるため、鉄中に重水素が溶け込み、重水素化鉄を形成する過程のその場中性子回折測定を実施しました。
鉄は高温高圧力下で面心立方構造となりますが、この構造を持つ鉄が重水素化鉄になる様子を観測することに成功しました。金属格子中には金属原子が四面体に配置したサイトと八面体に配置したサイトが存在し、そこに水素が侵入します。面心立方構造の鉄では、八面体サイトのみに水素が存在していると考えられていましたが、988 K,6.3 GPaにおいて測定した重水素化鉄の中性子回折プロファイルでは、定説の構造モデル(図5-15(a))から得られる回折強度の計算値と、実験値が合わないピークがあることが確認されました(図5-16(c))。そのため、八面体サイトに加えて四面体サイトにも重水素が存在している構造モデル(図5-15(b))で解析したところ、八面体サイトに鉄原子1個あたり0.532個,四面体サイトに0.056個の重水素が存在しているモデルで強度を良く再現できました(図5-16(d))。定説とは異なり、2種類の格子間サイトに重水素が存在していることになります。本研究の成果によって、鉄と水素の関係に新しい知見をもたらし、水素による鉄の特性変化に対する理解がより一層進むと期待されます。
本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(No.24241032)「量子ビームを利用した高水素組成の金属水素化物研究」の成果の一部です。