図9-5 物質中の弾き出し損傷分子動力学シミュレーション
図9-6 新しい材料損傷評価式と分子動力学の結果の比較
固体中の原子に電子、中性子、陽子などの高エネルギー粒子を照射すると、衝突された原子は大きなエネルギーを付与され、結晶中の決まった位置から弾き出され場合によっては連鎖反応的に次々に多くの原子が弾き出されます(図9-5)。私たちはこのような現象を弾き出し損傷と呼んでいます。この現象によって結晶構造が乱れ、固体が元来持っていた性質が変化します。原子力材料は放射線にさらされますので、元の材料のサイズや強度などの特性が変化してしまうと、安全性や経済性に影響を与えてしまいます。しかしながら、このような変化を事前に知っておけば適切な材料の管理が可能になります。そのためには、粒子がいくつ原子を弾き出すのかを知っておかなくてはなりません。従来、これはNorget、Robinson及びTorrensの三人が1960年代に提唱した損傷評価式(NRTモデル)で行われてきました。これは粒子のエネルギーに比例して弾き出される原子数を換算する単純な式で、使いやすい反面、実験や高精度シミュレーションの結果をあまり良く表していないことが問題になってきました。
2011年にOECD/NEAの活動の一環として「原子力システム燃材料マルチスケールモデリングに関するワーキングパーティ」が発足し、原子力機構からは三人の計算材料科学の専門家が参加しました。その中の弾き出し損傷研究のエキスパートによる会合で、より現実に合った材料損傷評価式が必要ではないかという結論に達し、それを構築する国際的なプロジェクトが立ち上がりました。その方法は、まず物理的な考察により評価式の形を決定し、分子動力学(MD)による弾き出しシミュレーション結果をデータベースとして式の係数を決定するという2段階の方式を選択しました。これにより評価式が単なるフィッティングで得られた非物理的な式になることを回避し、その上照射実験が存在しない材料については計算科学で補完できる理にかなった方法です。
図9-5(c)から分かるように一度弾き出された原子の大半はまた格子位置に戻ってきます。このような効果を考慮して修正した評価式を作成しました。図9-6の━線で示されているように、この式は実際に格子位置に戻らず欠陥として残留する原子数を良く表していることが分かります。
今回得られた評価式は金属だけでなく、セラミックスや半導体などにも適用できるようにしました。よってこれらの評価式は照射損傷の世界規格として今後広く利用できると考えています。
また、1ナノ秒以内で損傷過程は終了しますが、有限温度では欠陥は徐々に移動するため、長時間かけて欠陥はさらに消滅したり結合してクラスタ化したりします。この変化を知らなければ実際に観測される弾き出し損傷をモデル化したことになりません。
この弾き出し損傷の長時間の振る舞いについては、私たちの既往研究がOECD/NEAの報告書に記載されました。