3-7 薄型磁石に潜む不思議なエネルギー

−極小の空間で初めて起こるエネルギー生成機構の理論的解明−

図1 磁石内部に現れる微小な粒子「マグノン」の概念図

図1 磁石内部に現れる微小な粒子「マグノン」の概念図

磁石内部では、マグノンと呼ばれる粒子が現れることがあります(図中の青丸)。マグノンがいなければ磁石内部のスピン(微小な磁石)は規則的に整列しています。マグノンが現れると、マグノンはスピンの向きを変えながら情報を伝えることができます(青い波線)。

 

図2 本研究の理論計算から予言された磁石を薄くすることによるエネルギーの変化

図2 本研究の理論計算から予言された磁石を薄くすることによるエネルギーの変化

横軸は磁石の厚さで、磁石を薄くしていくことで、内部に存在可能なマグノンの種類(周波数)が制限されていき、結果として磁石のエネルギーが変化します(カシミア効果)。紫点はイットリウム鉄ガーネット、赤点は酸化クロム(Ⅲ)という磁石の種類です。

 


近年急速に進歩しつつある情報化社会において、磁気デバイス(磁石を利用した機器)の更なる小型化・軽量化を目指す際、磁石が微細に加工されるとどのように性質が変わるか(例えば、磁気の強さや磁気情報の伝わり方など)を調べることは重要な課題です。一般に、磁石の内部には原子や電子だけでなく「マグノン」と呼ばれる粒子が現れることがあります。図1で示されているように、マグノンは粒子でありながら磁石の中を波のように伝わり、スピン情報(磁石のS極/N極がどちらを向くかの情報)を運ぶため、スピントロニクス分野での利用が期待されています。

本研究では、磁石を薄くしていくことで磁石内部のエネルギーがどのように変化するかを理論計算によって解明しました。今回は磁石の種類として、イットリウム鉄ガーネットと酸化クロム(Ⅲ)という2種類の物質を調べました。図2の結果が示すように、数ナノメートル程度まで磁石を薄くすることで、エネルギーが変化することを発見しました。

このような現象は、磁石内部の微小な世界で主役となるマグノンの不思議な性質に起因しています。マグノンは粒子として1個2個…と数えることができます。素朴に考えると、粒子が0個であれば、何も起こらないはずです。ところが、微小な世界で現れる効果は、粒子が0個のときにでさえエネルギーを生み出します。実は、磁石内部はこのような「0個のマグノン」から生じるエネルギーが常に満ちており、本研究の発見は、このエネルギーが磁石を極めて薄くすることで変化したことを意味しています。

これは物理学や光子工学の分野でよく知られている「カシミア効果」のマグノン版と言える現象です。本来のカシミア効果は、真空中に2枚の金属板を微小に離して並べることで、光子に起因した内向きに引く圧力が発生し、板同士が引き合う現象として1948年に理論で予言され、およそ50年後に実験で観測されました。本研究の場合にも、磁石内部の圧力はカシミア効果によって変化し、その磁石の様々な性質を変えています。イットリウム鉄ガーネットでは、カシミア効果が磁気の強さを変えることが明らかになりました。一方、酸化クロム(Ⅲ)のカシミア効果では、磁気の強さは変わらないことが分かりました。これらの性質は、磁石を薄くしたときの磁気の強さを制御する際に役立つ知見です。

本研究で得られた成果は、まだ理論計算の段階であり、まずは実験での検証が望まれますが、将来的にはマグノンのカシミア効果を制御し工学応用する「カシミアエンジニアリング」と呼ばれる分野を切り拓くための基礎学理となることが期待されます。

(鈴木 渓)