5-2 世界最高圧力下での中性子非弾性散乱実験に成功

−21万気圧での金属水素化物の水素振動励起を観測−

図1 (a)金属水素化物の結晶構造

拡大図(118kB)

図1 (a)金属水素化物の結晶構造、(b)観測された波数−エネルギーマップと結晶格子間に閉じ込められた水素の振動励起との関係

波数―エネルギーマップは、結晶格子中の水素の振動を反映します。エネルギー遷移がとびとびで等間隔なのは、水素が金属格子中で量子的に振動していることを示しています。

 

図2 励起エネルギーの金属−水素原子間距離依存性

図2 励起エネルギーの金属−水素原子間距離依存性

原子間距離が小さくなると、局所ポテンシャルの形状が狭くなるので、エネルギー準位の間隔が広がり、第一励起エネルギーは増大します。高圧下()では、同じ結晶構造を持つ他の金属水素化物の常圧下のトレンドよりも、急峻に立ち上がります。(APSの許可を得て参考文献より転載)

 


金属中の水素は、元の金属の性質を大きく変えるため、基礎科学や産業応用の観点から重要です。また金属水素化物は、夢の「室温超伝導」の最有力候補として、近年盛んに高圧研究が行われています。その超伝導の発現を担うのは、伝導電子と格子振動の相互作用であり、より高い超伝導転移温度を持つ物質を実現するためには、高圧下の水素の振動状態を知ることが重要となっています。

水素の非干渉性散乱を利用した中性子非弾性散乱は、金属中の水素の振動状態を調べるのに大変有力な手法です。しかしながらその信号の弱さから、測定可能な圧力範囲は、これまで3万気圧に限られていました。そのため金属格子を大きく圧縮することができず、水素振動の顕著な圧力変化を見ることはできませんでした。本研究では、これを実現するために新たな装置を開発し、中性子非弾性散乱としては世界最高となる21万気圧での実験に成功しました。

実験はJ-PARCのBL01に設置された4次元空間中性子探査装置「四季」及びBL21に設置された高強度全散乱装置「NOVA」で行われました。小型でも高荷重を印加できるパリ−エジンバラプレスを用い、蛍石型構造(図1(a))を持つZrH1.8及びTiH1.84を加圧しました。これらの物質では、金属原子はほぼ理想的なfcc格子をとっており、水素原子は四面体空隙(図1(a)の点線)に位置しています。その中で水素は、理想的な調和振動(復元力が変位に比例する振動)をします。図1(b)に実験で得られた波数(Q)―エネルギー(E)マップと水素の振動励起との関係を示します。Q-Eマップは、水素の量子的な振動のため、励起エネルギーは離散的になっており、またポテンシャル形状が放物線であることを反映して、エネルギー間隔は、ほぼ等間隔になっています。これを加圧すると、第一励起エネルギーE1は、圧力とともに直線的に増大することが分かりました。調和振動を仮定すると、水素原子の波動関数の広がりΔxE1の間に(Δx2=ℏ2/2ME1Mはプロトンの質量)の関係があるため、E1からΔxを知ることができます。観測された圧力によるE1の増大は、水素原子が加圧により、収縮していくことを示しています。また、その割合は金属格子の収縮量に比べて大きく、水素原子が優先的に収縮することが分かりました。

図2に、金属―水素原子間距離dM-Hに対するE1の変化を、常圧下で金属元素を置換したときの変化と比べたものを示します。加圧によるdM-Hの減少に伴うE1の上昇は、金属元素を変えたときの変化に比べ急峻であることが分かります。これは金属元素の置換による擬似的な圧縮(化学圧力)に比べて、加圧による圧縮(物理圧力)が、より直接的にポテンシャル形状に影響を与えるためと考えられます。また、これまで述べた二つの結果はどちらも、金属原子のイオンコアが水素原子に比べて圧縮されにくいことで説明ができます。

今回開発した手法は、水素の非干渉性散乱のみならず、他の散乱や物質にも適用できるため、今後、様々な物質の高圧下のダイナミクス研究に有用であると考えられます。

(服部 高典)