4-9 中性子非弾性散乱による蛋白質ダイナミクスの研究

−揺らぐ蛋白質を見る−

(a) (b)アクチン分子の構造

図4-20
拡大図(124KB)

図4-20

(a)アクチンの単量体状態(G-アクチン)及び重合状態(F-アクチン)における平均自乗変位の温度依存性
(b)A〜Jまでの赤あるいは緑の領域が揺らぎの大きい領域を表します。緑の領域が重合により揺らぎが抑えられると考えられます。

 

(c) (d)蛋白質を取り囲む水分子

図4-21
拡大図(171KB)

図4-21

(c)様々な水分量のスタフィロコッカルヌクレアーゼの中性子非弾性散乱スペクトル。水分量が増加すると、揺らぎが大きいことを示す準弾性散乱が1〜2meVのエネルギーに現れます。
(d)蛋白質表面に吸着した水分子の様子を青で示しています。

“生きる”ために、細胞は様々な活動を行っていますが、その活動は主として蛋白質によって担われています。細胞中において、蛋白質は周りの環境、特に多く存在する水分子の熱揺らぎにさらされ、蛋白質自身も常に揺らいでいます。このような蛋白質の揺らぎ自体がその機能を発揮する上で重要であると言われています。したがって、蛋白質自身の揺らぎや蛋白質の揺らぎが水分子の揺らぎにどのように影響されるかを調べることが、蛋白質の機能を理解するためには非常に重要です。

中性子非弾性散乱は、このような揺らぐ蛋白質を直接“見る”ことのできる唯一の方法です。私たちは、中性子非弾性散乱の様々な手法を用いて、蛋白質の揺らぎやそれに対する水分子の影響を調べてきました。図4-20はアクチンと呼ばれる蛋白質の中性子非弾性散乱実験より導出した平均自乗変位の温度依存性を調べたものです。平均自乗変位は蛋白質の揺らぎの大きさの直接の指標となります。アクチンは単量体(G-アクチン)が重合してらせん状重合体(F-アクチン)を形成しますが、その構造状態の違いにより揺らぎの大きさが異なることが初めて明らかとなりました。さらに、この違いが重合に関与するアクチン分子表面のループ領域の揺らぎの大きさの違いによることが示唆されました。これは単量体状態におけるループの大きな揺らぎが重合には重要であるというアクチン重合の分子機構の理解の上で重要な情報を与えます。

このような蛋白質の揺らぎは、まわりの水分子からどのような影響を受けるのでしょうか。このことを調べるために、スタフィロコッカルヌクレアーゼと呼ばれる蛋白質を用いて蛋白質に付着する水分量を変化させた実験を行いました。図4-21はスタフィロコッカルヌクレアーゼの、乾燥状態,湿潤状態,両者の中間的な水分量の三つの状態の中性子非弾性散乱スペクトルを示しています。乾燥状態と中間状態ではほとんど同じスペクトルですが、湿潤状態では蛋白質構造の揺らぎが大きくなることを示す非弾性散乱が見えてきます。この蛋白質の大きな揺らぎは機能発現に必須と言われています。この結果は蛋白質を取り囲む水分子の存在が、蛋白質の大きな揺らぎ、ひいては蛋白質の機能発現に必須であることを示しています。