3-5 放射線の生体影響の解明に向けて

−DNA損傷が正常な染色体にも影響を与える−

図3-10 微小核細胞融合法を用いたDNA損傷の移入

図3-10 微小核細胞融合法を用いたDNA損傷の移入

ヒト染色体を含む微小核細胞にUV-Aを照射後、非照射のマウス細胞に移入しました。その後各細胞を培養し、安定に細胞分裂が行える細胞を多数のクローンとして得ました。これらクローン細胞の染色体異常を顕微鏡下で観察し分析しました。

 

図3-11 顕微鏡下で観察された典型的な染色体の異常

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図3-11 顕微鏡下で観察された典型的な染色体の異常

ヒト染色体はで、マウス染色体はにそれぞれ染色されています。は動原体と呼ばれる細胞分裂の際に染色体を引っ張るための装置です。上段(a)(b)はそれぞれ正常なヒト及びマウスの染色体、下段は(c)マウス染色体とヒト染色体(d)2本のヒト染色体同士(e)2本のマウス染色体(f)3本のマウス染色体がそれぞれ融合した染色体異常の例です。

放射線照射された細胞に生じる染色体異常などの遺伝的な変異は、照射された一世代目の細胞ではなく細胞分裂を起こした何世代もあとの子孫細胞の一部に起こります。これは「遺伝的不安定性」と呼ばれ、放射線発がんなど晩発影響に深く関連している現象として注目されています。しかし、その誘発の機構に関する詳細は、未だ明らかにされていません。

本研究では、このような遺伝的不安定性を引き起こす主要な原因のひとつとして、DNA損傷に着目し、特に、細胞死を引き起こさずに細胞分裂を乗り越えて持続する損傷として、DNA分子中の塩基部位の損傷に注目しました。DNA塩基は、遺伝情報を担う基本単位で、これが変異することで突然変異などの頻度が高くなることが知られています。通常の放射線照射では、細胞内の様々な器官が損傷を受けます。本研究ではDNA以外の細胞内器官の損傷の影響を除くため、微小核細胞融合法という手法を用い、DNA損傷を起因とする遺伝的不安定性の誘発を調べました。

微小核と呼ばれるヒトの染色体を1本だけ含む小さな細胞様の構造体に照射を行い、その後この染色体を未照射の健全なマウス細胞に移入しました(図3-10)。ヒトの染色体はマウスの染色体とは大きく異なるため、照射したヒト染色体と非照射のマウス染色体とを顕微鏡下で容易に判別できるという利点があります。まず、移入操作自体がマウス細胞に影響を与えないことを確認しました。次に、照射後の細胞を長期間(20日から1ヶ月程度)培養し、安定に増殖できる多くのクローン細胞株を作製しました。照射には、365 nmの波長のUV-Aと呼ばれる領域の紫外線を用いました。UV-Aは、通常の放射線照射した時と同じタイプのDNA塩基の損傷を効率良く引き起こすことが知られています。

作製したクローン細胞中の染色体を詳細に調べてみると、ヒトの染色体同士あるいはヒトとマウスの染色体が融合してしまう異常な染色体に加え、本来正常であるはずのマウスの染色体同士が融合したものも多く観察されました(図3-11)。さらに、クローン細胞中の染色体数はマウスの染色体42本にヒトの1本を加えた43本であるべきですが、これが2倍あるいはそれ以上になってしまう染色体数の異常も観察されました。

これらの結果は、照射されたヒト染色体だけではなく、その移入により正常なマウス細胞の染色体にも異常が生じるという、これまで知られていなかった新しい遺伝的不安定性の誘発機構の存在を示唆しています。今後の詳細な研究により、低線量照射による放射線発がんメカニズムの解明が進むと期待されます。

本研究は、文部科学省科学研究費補助金(No.20710045)「クラスターDNA損傷によるテロメア不安定性誘発に関する研究」の成果の一部です。