図5-26 バイスタンダー効果の検出方法
図5-27 放射線が当たっていない細胞の増殖能力の低下と培養液中の亜硝酸イオン濃度の上昇の関係
バイスタンダー効果とは、放射線が当たった細胞で生じる何らかの作用により、周囲の放射線が当たっていない細胞が放射線に当たったかのような反応を示す現象です。
私たちは、高崎量子応用研究所のコバルト60ガンマ線照射施設とイオン照射研究施設を用いて、培養したヒト肺由来の正常線維芽細胞(WI-38株)集団の一部にγ線あるいは重粒子線の一種である炭素イオンビームを照射した後、照射していない(放射線が当たっていない)細胞の増殖能力を詳細に調べました(図5-26)。
その結果、放射線が当たっていない細胞の増殖能力は、γ線でも炭素イオンでも、細胞に与えられるエネルギーの量(吸収線量)に応じて、しかし放射線の種類によらず、同じように低下することを見いだしました(図5-27)。また、実験系内の一酸化窒素を意図的に消去した実験では、γ線あるいは炭素イオンビームのどちらの場合でも、照射していない細胞の増殖能力は全く低下しないことが分かり、バイスタンダー効果が伝わるためには、一酸化窒素の生物学的な合成が必要であることを突き止めました。一方、培養液中の一酸化窒素が酸化して生じる亜硝酸イオンの濃度を測定したところ、亜硝酸イオンの濃度の上昇(すなわち、一酸化窒素の合成量の増加)と細胞の増殖能力の低下(バイスタンダー効果)に相関があり、一酸化窒素の合成がバイスタンダー効果の重要なメカニズムであることを世界で初めて発見しました。細胞内で多様なストレスに応答する核内因子κBなどの転写因子とその下流の一酸化窒素合成酵素が放射線の作用により活性化されるのではないかと考えています。
近年、がん患部に集中して放射線のエネルギーを与えて治療する重粒子線がん治療に期待が集まっていますが、重粒子線でも、皮膚とがん患部の間に存在する正常組織の被ばくは避けられません。この正常組織の被ばくにおいて、放射線が当たった細胞から当たっていない細胞へのバイスタンダー効果が影響する可能性がありますが、本成果によりそのメカニズムの一端を明らかにしました。今後、ヒトの正常組織で一酸化窒素の消去あるいは生成の抑制に有効な薬剤が開発されれば、放射線がん治療の副作用低減に役立つことが期待できます。
本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(No.25740019)「重イオン誘発バイスタンダー効果の時空間依存性の解析」の成果の一部です。