5-9 DNAにできた傷の「かたまり具合」を探る

−重粒子線がん治療効果をもたらす「クラスターDNA損傷」を発見−

図5-24 フレットを利用したクラスターDNA損傷の検出原理

図5-24 フレットを利用したクラスターDNA損傷の検出原理

DNAの傷を2種類の蛍光分子D あるいはA で標識しておき、蛍光分子D に光エネルギーを吸収させます(励起)。もし、近くに蛍光分子A で標識された損傷があれば、D が吸収した光エネルギーがAに移動し発光します(フレット)。A に移動したエネルギー量からDA の距離、そして損傷間の距離を知ることができます。

 

図5-25 放射線照射DNAのフレット実験結果

図5-25 放射線照射DNAのフレット実験結果

横軸はDNAの1000塩基対(約340 nm)あたりの平均損傷数を表しており、放射線の量に比例します。縦軸はフレット効率と呼ばれる量で、この効率が高いほど損傷が「かたまっている」ことを意味します。このグラフから炭素線はγ線と比較して、かたまった損傷(クラスターDNA損傷)を生じやすいことが分かります。

 


放射線は、宇宙を含めたあらゆる環境中に常に存在し、生物の遺伝をつかさどる重要な物質であるDNAを傷つけます。幸い、私たち人間を含めた動植物は、生命誕生以来数億年の歴史の中で、傷ついたDNAを元通りに修復し遺伝情報を守る手段を獲得しています。ただ、放射線が短時間に大量に当たった場合、修復機能の限界を超え、壊れたDNAは元通りに戻らなくなってしまいます。一方、このことは放射線がん治療の観点からすると、がん細胞のDNAに選択的に「元に戻らない損傷」を与えることで、副作用の少ない効果的な治療が可能となることを意味しています。では、「元に戻らない損傷」とは一体どのようなものなのでしょうか。

放射線によってDNAに生じた傷(DNA損傷)の構造はこれまでに100種類程度知られていますが、それらのほとんどは元の状態に戻されることも分かってきました。これは個々の損傷が「元に戻らない損傷」にはなりにくいことを示しています。私たちは、元に戻らない要因として損傷と損傷の位置関係が重要であると考えました。実際、細胞を用いた実験では、損傷間隔が狭いあるいは損傷が「かたまった」ところ(クラスターDNA損傷)は修復がうまくいかないことが知られています。しかし、そもそも放射線によって実際にクラスターDNA損傷が生じるかどうか、生じるとすればどのような構造なのかについて有用な知見はありませんでした。そこで私たちは、クラスターDNA損傷の実体を調べるための新しい研究方法を開発しました。ここで着目したのが「蛍光共鳴エネルギー移動」(FRET:フレット)と呼ばれる物理現象です(図5-24)。かたまっている損傷があるとフレット効率は増加します。図5-25はDNAに2種類の放射線(γ線と炭素線)を照射した場合のフレット測定実験結果です。炭素線の結果(線)がγ線の結果(線)よりフレット効率が大きいことから、炭素線がγ線と比較してクラスターDNA損傷を生じやすいことが分かりました。さらに、炭素線では、横軸がゼロ、すなわち線量がゼロに近いところでも、フレット効率が一定の値を持つことから、炭素線1本がDNAに当たると、一気にクラスターDNA損傷ができることも分かりました。炭素線などの重粒子線がん治療効果の根拠を示すことができたといえます。今後さらなるフレット実験で解明されるクラスターDNA損傷に関する知見は、医学への応用のみならず未来の宇宙開拓時代における放射線防護の評価にも役立つと考えています。