1-15 放射性物質の大気放出と拡散状況を計算で再現する

−拡散計算の最適化手法の高度化により事故初期の正確な被ばく評価に貢献−

図1-29 大気拡散計算の最適化手法の概念図

図1-29 大気拡散計算の最適化手法の概念図

少しずつ異なる多数ケースの気象場を作成するアンサンブル気象計算と、拡散計算結果と環境モニタリングデータから統計的に最適解を探索するベイズ推計を組み合わせることにより、放出源情報の最適化だけでなく、観測値の不足のため困難であった気象場の再現性の向上を可能としました。

 

図1-30 137Cs地表沈着分布

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図1-30 137Cs地表沈着分布

2011年4月1日時点の137Cs地表沈着量の計算結果(b)を文部科学省の航空機モニタリングによる観測結果(a)と比較して再現性を評価しました。発電所から北西方向、福島県中央部や関東地方における高い沈着量が再現され、従来研究に比べて計算範囲内陸上における総沈着量の観測値との一致度が向上しました。

 


東京電力福島第一原子力発電所事故の、特に測定値が限られている事故初期における公衆の被ばく線量の評価には、放出された放射性物質の環境中における時間空間分布を、大気拡散モデルを用いた計算シミュレーションにより再構築することが必要です。この大気拡散シミュレーションでは、気象モデルにより計算した風や雨等の気象場と放射性物質の放出源情報を入力として、拡散モデルにより放射性物質の大気中の輸送と地表沈着を計算します。これまでの研究では、気象観測値と計算値を融合させるデータ同化手法により気象場の再現性向上に取り組んできましたが、観測値の不足から再現性は十分でなく、放射性プルームの時間空間分布の不確かさの要因になっていました。このため、拡散計算結果と環境モニタリングデータの比較から放出源情報を逆推定する際、専門的知見と経験に基づく主観的評価による拡散計算の補正と比較に使用するデータの選定が必要であり、客観性に課題がありました。

本研究では、環境モニタリングデータと拡散計算結果の比較結果のフィードバックにより気象場の再現性を向上させることで、最適解を探索する統計的手法であるベイズ推計による放出源情報の最適化を実現しました(図1-29)。この手法では、まず、初期値を少しずつ変えて気象モデルを実行することで多数ケースの気象場を作成(アンサンブル気象計算)し、各気象場を拡散モデルに入力して多数の拡散計算結果を作成します。これらと137Cs(セシウム137)大気中濃度測定値(多数の大気汚染測定局で捕集された浮遊粒子状物質(SPM)の分析による1時間間隔データ及び緊急時モニタリングによるダストサンプリングデータ)を用いたベイズ推計により、拡散計算結果が放射性プルームの時間空間変化を最も再現する気象場を最適気象ケースとして選定します(図1-29①)。次に、この最適気象ケースによる拡散計算結果と、大気中濃度のほか東日本域の地表沈着量マップや日ごとの降下量といった様々な環境モニタリングデータを用いたベイズ推計により、従来研究による放出源情報の推定結果を最適化しました(図1-29②)。

この最適化した放出源情報を使用した大気拡散計算結果を環境モニタリングデータと比較することで、その妥当性を検証しました。SPM測定地点における137Cs大気中濃度との統計比較では、FA10(計算値が観測値の1/10〜10倍に入る割合)が、従来研究の35.9%から47.3%に向上しました。137Csの地表沈着量については、航空機モニタリングにより測定された空間分布を良好に再現することができました(図1-30)。また、陸上における沈着量の総量は、従来研究の3.7×1015 Bqに比べて観測値(2.4×1015 Bq)により近い2.1×1015 Bqという結果を得ることができました。

こうして最適化した放出源情報と大気拡散計算により、主要な放射性核種(131I、134Cs、137Cs、132Te)の大気中及び地表面における時間空間分布データベースを構築しました。このデータベースは、我が国の線量評価プロジェクトによる住民の避難行動パターンと組み合わせた包括的な線量評価に利用され、線量推計値の精緻化に貢献しました。

本研究は、環境省の原子力災害影響調査等事業「平成30年度 放射線の健康影響に係る研究調査事業(事故初期の住民内部被ばく線量評価の精緻化に関する包括研究)」の成果の一部です。

(寺田 宏明)