3-5 重水クラスターの低エネルギー振動モードの解明

ーテラヘルツ・赤外吸収分光法と第一原理計算の活用ー

図3-9 アルゴン固体中の重水クラスターの最安定構造

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図3-9 アルゴン固体中の重水クラスターの最安定構造

第一原理計算により、Ar固体内に形成した(a)2量体、(b)3量体、(c)4量体の最安定構造を決定しました。クラスターに最隣接のAr原子は実線、第二隣接のAr原子は破線で各々結ばれています。

 

図3-10 重水クラスターのテラヘルツ・赤外吸収スペクトルの加熱温度依存性

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図3-10 重水クラスターのテラヘルツ・赤外吸収スペクトルの加熱温度依存性

試料加熱前と15 K、20 K、25 Kでの加熱後に、8 Kの温度で測定しました。図内の1〜6の数字は、対応する重水クラスターのサイズ(クラスター内の分子数)を示し、縦棒は吸光度のスケールを表します。横軸の波数は光の周波数に比例しており、33 cm−1 ≈ 1 THzです。吸光度の増加は、対応する重水クラスターの量が増えたことを意味します。

 


水分子のナノサイズの凝集体(クラスター)は、「水素結合」の性質を解き明かす目的で、分光手法を用いて精力的に研究されています。しかし、赤外(IR)域に比べて低エネルギーであるテラヘルツ(THz)域のスペクトル測定例は極めて少なく、水分子二つから成る2量体についてさえ、THz吸収と振動モードの対応づけは未決定でした。本研究では、Ar固体中に重水分子(D2O)のクラスターを生成した後に、THz・IR吸収スペクトルを測定し、Ar固体の効果を取り入れた第一原理振動計算の結果と合わせることで、2、3、4量体のTHz吸収ピークの由来を決定しました。

液体ヘリウムを用いて8 Kに冷却した金基板上に、ArとD2Oの混合ガスを凝縮し、真空中で試料を作成しました。吸収スペクトルの測定には、IR域とTHz域に対応する2種類の検出器を用いました。第一原理計算では、Ar固体中に生成した2、3、4量体の最安定構造と振動数を決定しました。図3-9に、得られた最安定構造を示します。

図3-10は、THz・IR吸収スペクトルの測定結果です。各吸収ピークはクラスターの特定の振動モードに由来し、吸収光の周波数がそのモードの振動数に等しくなります。3量体以上のIR吸収ピークに注目すると、試料の加熱温度が上がるとともに吸光度が増加しています。これは、D2Oの熱拡散によるクラスターのサイズ成長を意味します。IR域とTHz域の吸収ピーク強度の加熱温度依存性を比較し、さらに第一原理計算の結果と合わせることで、各THz吸収ピークが2、3、4量体のどの振動モードに由来するかを明らかにしました。

この成果は、氷や水の物性を特徴づける「水素結合ポテンシャル」の高精度決定に直結します。また、「大気における水分子のクラスター形成が温室効果を高めること」が近年分かってきており、本研究により得られた「THz吸収強度のクラスターサイズ依存性」のデータは、水の温室効果の大きさを精密決定するという大気環境科学の一大テーマを解決する上で、不可欠な情報となります。

本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金若手研究(No.JP18K14182)「テラヘルツ・赤外分光法を用いた水分子の核スピン転換機構の解明」の助成を受けたものです。

(山川 紘一郎)