4-7 陽子ビーム照射で材料はどの程度損傷するのか?

ー高エネルギー陽子ビームを用いる加速器駆動システムの安全に貢献ー

図4-15 原子力機構が提案する加速器駆動システム(ADS)の概要

図4-15 原子力機構が提案する加速器駆動システム(ADS)の概要

陽子ビーム導入部にあたる鉄鋼製の「ビーム窓」はADSの成立性を左右する主要機器ですが、その放射線損傷評価に必要な弾き出し断面積の実験データがありませんでした。

 

図4-16 鉄の弾き出し断面積の実験値と計算値の比較

拡大図 (102kB)

図4-16 鉄の弾き出し断面積の実験値と計算値の比較

ADSで重要な鉄について、10 MeV以上のエネルギー領域で過去に測定例がなく、今回、世界で初めてこのエネルギー領域の実験データを取得しました。

 


原子力発電に伴い発生する高レベル放射性廃棄物を効率的に減容し、有害度を低減する核変換を目的とした加速器駆動システム(ADS)の実現に向け、原子力機構では研究開発を進めています。ADSでは、図4-15に示す数十億電子ボルトの高エネルギー陽子ビームの導入部「ビーム窓」に鉄鋼を、また加速器の電磁石には銅を用います。ビーム窓などの材料に陽子ビームが入射すると原子の弾き出しが起こり、放射線損傷により材料が劣化します。原子あたりの弾き出し数は、陽子ビームの強度(陽子束)に原子の弾かれやすさ(弾き出し断面積)を乗ずることにより計算されますが、弾き出し断面積の実験データは数少なく、特にADSで重要な数十億電子ボルト(数GeV)のエネルギー領域における鉄については測定例がなく、計算に用いるモデルの妥当性の評価ができませんでした。

本研究では、ADSで重要な鉄と銅の弾き出し断面積をJ-PARCの加速器を用いて測定しました。この測定では、金属の格子中に損傷が生じると電子の流れが阻害され、電気抵抗が高くなる性質を利用しました。一度生成した損傷が熱運動により回復するのを防ぐため、-269 ℃(4 K)程度に冷却した試料に陽子ビームを入射し電気抵抗の増加を観測しました。この実験により、世界で初めてGeVエネルギー領域における鉄の弾き出し断面積を取得しました。

次に、原子力機構が中心となり開発を進めている粒子輸送計算コードPHITSに原子の弾き出しモデルを組み込み弾き出し断面積を計算し、取得した実験値と比較しました。これまで弾き出し損傷評価に用いられてきた計算モデル(NRTモデル)による計算値は、1千万電子ボルト(10 MeV)以下の陽子に対する実験値と比較的良い一致を示すことが知られていましたが、図4-16に示すようにGeVのエネルギー領域では計算値は実験値の約2倍であり、NRTモデルには問題があることが明らかになりました。そこで、最新の分子動力学法に基づく材料損傷モデル(arcモデル)をPHITSコードに組み込み、弾き出し断面積を計算した結果、計算値は実験値と良い一致を示し、より高い精度で材料の損傷評価が行えるようになりました。

本研究で行った弾き出し断面積測定と材料損傷モデルの精度確認により、ADSのみならず広くJ-PARCのような高エネルギー加速器施設で使われる材料の損傷評価精度が向上し、さらなる安全性向上につながるものと期待しています。

本研究は、文部科学省の原子力システム研究開発事業(No.JPMXD0216815810)「J-PARCを用いた核変換システム(ADS)の構造材の弾き出し損傷断面積の測定」で実施した成果です。

(明午 伸一郎)


*Jung, P., Atomic Displacement Functions of Cubic Metals, Journal of Nuclear Materials, vol.117, 1983, p.70-77.