5 中性子及び放射光利用研究等

幅広い科学技術・学術分野における革新的成果の創出を目指して

図5-1 J-PARC MLF工学材料回折装置「匠」(BL19)

図5-1 J-PARC MLF工学材料回折装置「匠」(BL19)

 


原子力機構では、科学技術基本計画に基づき中性子利用研究や放射光利用研究を通して科学技術イノベーションの創出を促し、科学技術・学術の発展や産業の振興に貢献することを目指しています。そのため、高性能汎用研究炉JRR-3や大強度陽子加速器施設J-PARC、大型放射光施設SPring-8のビームライン等を活用して、中性子施設・装置の高度化や、中性子・放射光を利用した原子力科学、物質・材料科学を先導する研究開発を行っています。


(1)J-PARCセンターでの研究開発

J-PARCは、リニアック、3 GeVシンクロトロン、メインリングシンクロトロンの三つの陽子加速器と、中性子、ミュオンを用いて物質・材料研究に関する実験を行う物質・生命科学実験施設(MLF)、K中間子等を用いた原子核・素粒子実験を行うハドロン実験施設及びニュートリノを発生させるニュートリノ実験施設から成り、国内外の利用に供しています。

加速器においては、目標である陽子ビーム出力1 MWでの安定運転を目指したビーム調整試験と機器の高度化が進められました。特筆すべきは、1 MWで38時間の連続運転を稼働率90%以上で実施できたことです。この成果により、設計値である1 MWでの安定運転の目途を立てることができました。より長期間の連続運転のために、3 GeVシンクロトロンのビームの荷電変換入射に使用している炭素薄膜の消耗度合いをオンラインで計測できるシステムを構築しました。これにより、炭素薄膜が破損する前に予防保全的に交換することが可能となり、稼働率のさらなる向上が期待できます(トピックス5-1)。

2020年度、MLFでは年間を通して600 kWで大強度のビームを利用者に安定供給しました。新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、計画した7.2サイクル(159日)の運転を調整して144日の運転を行い、中性子実験装置21台とミュオン実験装置2ラインを運用する中で、物質科学、材料科学等にかかわる幅広い実験を実施しました。中でも、工学材料回折装置「匠」(BL19)(図5-1)では、建設機械や自動車、核燃料キャスクなどの部品に広く使われている鋳鉄が、過酷な環境下を模擬して繰り返し引張・圧縮変形させると、強度が増加するメカニズムを明らかにすることに成功しました(トピックス5-2)。また、中性子ビーム実験の高度化では、高エネルギーから低エネルギーまでの幅広いエネルギーを持つ中性子ビームを一度に偏極するためのヘリウムガスを用いた高性能中性子スピンフィルターの開発と利用研究を推進しました。特に、中性子核反応測定装置「ANNRI」(BL04)ではこれまで不可能であった1 eV程度のエネルギーを持つ中性子を偏極することに成功し、139La原子核の偏極吸収に伴うγ線角度相関を初めて測定しました(トピックス5-3)。この他にも、この技術は、磁性体の磁気構造解析や物質中の水素位置の決定、基礎物理実験などに応用され始めており、今後様々な科学的な成果が得られることが期待されます。


(2)中性子や放射光を利用した研究開発

物質科学研究センターは、中性子や放射光を用いた先端測定技術を開発・高度化し、幅広い科学研究・開発分野における革新的成果・シーズの創出を目指しています。

2020年度、中性子利用研究では、金属磁性体Mn3RhSiに見られる短距離磁気秩序相が常磁性領域とは相分離した状態で、高温まで維持されることを明らかにしました(トピックス5-4)。この現象が見つかったのは今回が初めてですが、金属磁性体に普遍的に存在する可能性があり、伝導電子スピンの振る舞いについて新しい側面を捉えた研究です。また、社会に広く応用できる研究例として、牛や豚の廃棄骨を安価な吸着剤として利用する技術開発でも成果を得ました(トピックス5-5)。これは、動物の骨が金属を取り込むことを利用したもので、その金属吸着の鍵は炭酸アパタイトに含まれる炭酸であることを突き止めました。それを利用して、簡単な処理を施すことでストロンチウムやカドミウムに対して既存の吸着剤の数十倍から数百倍もの高い吸収性能を持つ材料を作成することができるようにしたものです。放射性物質はもちろん、有害な重金属の除去にも応用可能な技術です。なお、2021年度からJRR-3の供用を再開するのに合わせ、上記のような価値ある成果をJRR-3で生み出すべく、中性子実験装置や利用環境の整備等も進めました。

放射光利用研究では、機能性材料として注目されているグラフェンの酸素原子の透過性について報告しています(トピックス5-6)。グラフェンは炭素原子一層分の厚みを持つ薄膜ですが、水素以外の気体分子をほぼ透過させない「ガスバリア性」を有しています。ところが、高速の酸素分子は、グラフェンを非破壊で透過することを世界で初めて発見しました。この成果は、新しい機能を持った保護膜の開発へと発展することが期待されます。また、高性能なスピントロニクスデバイスを実現する候補材料として強磁性半導体が注目されており、その磁気秩序の形成メカニズム解明のため、磁性を担う元素の電子軌道状態を詳細に調べました(トピックス5-7)。これは長年にわたる強磁性発現メカニズムの論争の決着に大いに寄与するものです。この成果は、新規強磁性半導体の性能向上の鍵であり、既に極低温では実証されている次世代スピントロニクスデバイスの室温動作実現に向けた指針を与えるものです。