図5-5 J-PARCで作製した3Heスピンフィルター
図5-6 中性子小角散乱実験における3Heスピンフィルターを用いた偏極解析装置
中性子は電荷を持たない、透過性が高い、軽元素とも反応しやすいなどの他に、スピンを持つという重要な特徴を持っています。中性子ビームのスピンを揃える(偏極する)ことにより、磁気構造解析、物質中の水素の位置決定、磁場イメージングなど、中性子ビームの応用範囲が飛躍的に広がります。J-PARC物質・生命科学実験施設(MLF)に代表されるパルス中性子源は原子炉中性子源とは異なり、1 meV〜1 keV程度の幅広いエネルギーの中性子を使用できるという特徴を持ちます。現在、広く使われている中性子偏極デバイスである磁気スーパーミラーは数十meV以下のエネルギーの中性子しか偏極できません。
より幅広いエネルギーの中性子を偏極するために、私たちは核スピン偏極3Heガスをガラスセルに封入した中性子偏極デバイスである3Heスピンフィルターを開発しました(図5-5)。3Heスピンフィルターは3Heガスの量を調節することにより、1 meV〜10 eV程度までの幅広いエネルギーの中性子を偏極することができ、また、広い立体角を持つという特徴から、試料により散乱された中性子のスピンを解析することも可能です。このデバイスでは3Heガスを如何に高い偏極率で偏極できるか、そして3Heガスの偏極を如何に中性子ビームライン上で保つかが開発の鍵となります。ガラスセル内部に不純物が存在すると3Heの偏極度を低下させてしまうので、非常に清純な環境下でガラスセルに3Heガスを封入する真空システムを構築しました。また、3Heガスを偏極させるために約100 Wのレーザー照射システムを新たに構築し、3He核スピン偏極度85%という世界最高水準の中性子偏極性能を持った3Heスピンフィルターの開発に成功しました。一方、3Heの核偏極はレーザー照射をやめると、ガラスセル内部の不純物の影響や、周囲の不均一磁場により徐々に偏極度が低下していきます。そこで、ガラス内部の不純物を可能な限り取り除くガス封入プロセスの考案、ビームライン上における均一な磁場環境の開発など、ビームライン上で性能良く3Heスピンフィルターを使用するための開発を行いました。
この3HeスピンフィルターをビームラインBL04、BL06、BL10、BL15、BL21に導入し、中性子ビームを用いた実験を行いました。中性子核反応測定装置「ANNRI」(BL04)では1 eV程度のエネルギーの中性子を偏極することに成功し、139La原子核の偏極中性子吸収に伴うγ線に角度分布が存在することを世界で初めて発見しました。また、中性子小角・広角散乱装置「大観」(BL15)では物質中の水素の位置決定には、パルス中性子小角散乱装置と3Heスピンフィルターを組み合わせた、中性子偏極解析法が非常に有用であることを示しました(図5-6)。この他にも磁気構造解析や、基礎物理実験などで3Heスピンフィルターを用いた実験が数多く行われており、今後様々な科学的成果が得られることが期待されます。
(奥平 琢也)