5-6 速い分子は炭素原子の網を通り抜ける

ー酸素分子がグラフェンをすり抜ける現象を発見ー

図5-12 放射光リアルタイム光電子分光と超音速ノズル分子ビームを組み合わせたガスバリア特性評価実験

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図5-12 放射光リアルタイム光電子分光と超音速ノズル分子ビームを組み合わせたガスバリア特性評価実験

(a)銅基板上のグラフェンに速度を変えた酸素分子を当てながら行う放射光光電子分光観察の概念図です。(b)運動エネルギーが1.22 eVの酸素分子ビームを照射した前後の光電子スペクトルの比較です。紫の成分の増加が、酸素分子がグラフェンを透過して銅表面を酸化した証拠です。

 

図5-13 グラフェン(炭素原子1層でできた網)を酸素分子が通り抜けるイメージ

図5-13 グラフェン(炭素原子1層でできた網)を酸素分子が通り抜けるイメージ

遅い酸素分子は炭素の網によって跳ね返され通り抜けできないが、分子が高速(>0.8 eV)になると透過できます。

 


炭素原子1層の網であるグラフェンは、低い電気抵抗などの優れた物性を持つことから、高性能・高機能な超集積回路素子や透明導電膜など、次世代機能性材料として注目されています。その特異な物理的性質から、その発見に対して2010年ノーベル物理学賞が授与されました。さらに、グラフェンは、優れたガスバリア性能を持つことが知られ、易酸化性の遷移金属触媒(Ni、Cuなど)の酸化保護膜への応用が期待されています。しかしながら、ガスバリア性の詳細は不明な点が多く残っています。

よく知られているように、大気のような環境の酸素分子は、26 meV程度の運動エネルギーを持つ分子が大部分を占めますが、それ以上の大きなエネルギーを持つ(速い)分子も微量ですが存在します。このような大きな運動エネルギーの酸素分子は、反応途中に存在する山(活性化障壁)を乗り越えることが可能です。私たちは、SPring-8の原子力機構専用軟X線ビームライン(BL23SU)の表面実験ステーションの超音速ノズル分子線装置を使って、Cu(111)基板上に化学気相成長したグラフェンに対して、最大2.3 eV程度までの運動エネルギーの酸素分子ビームを照射した際の表面化学状態の変化を、放射光軟X線(700 eV程度)を使った光電子分光によってリアルタイム分析しました(図5-12(a))。

図5-12(b)は、運動エネルギーが1.22 eVの酸素分子ビーム照射前(左)と照射後(右)の酸素原子の1s軌道に束縛されていた光電子のエネルギースペクトルです。銅表面の酸化を示すピーク(紫部分)の増加が観察されています。同様のスペクトルの変化は、0.8 eV以上のエネルギー条件で観察されました。さらに、透過後においてもガスバリア性が維持されること(非破壊透過)も分かりました。放射光実験に加えて計算機シミュレーションを行った結果、高エネルギーの酸素分子の透過が、グラフェンの炭素原子の抜け穴(欠陥)を介して非破壊に起こることが分かりました(図5-13)。高速な酸素分子のグラフェンの欠陥を介した非破壊透過現象の発見は、分子の「速度」を利用した分子フィルターへの応用などに期待されています。また、高速の酸素分子は、身の回りに存在するので、通り抜けを防ぐことができれば、食品劣化や金属の錆を防ぐ保護膜の開発につながることも期待されています。

本研究は、東北大学との共同研究「材料表面プロセスの放射光リアルタイム光電子分光研究」の成果の一部です。

(吉越 章隆)