5-2 ディープラーニングによって中性子測定の速度を大幅に向上

−高精度のノイズ除去技術の開発によって中性子反射率測定を10倍以上高速化−

図5-5 中性子反射率のデータからノイズを除去するニューラルネットワークの概念図

図5-5 中性子反射率のデータからノイズを除去するニューラルネットワークの概念図

中性子反射率の短時間測定で得られるノイズを含むデータ()に対して、シミュレーションで生成したノイズのないデータを正解データ()として、ノイズの特徴を学習して、測定データからノイズのみを除去します。

 

図5-6 ノイズ除去前後の中性子反射率データの比較

図5-6 ノイズ除去前後の中性子反射率データの比較

中性子反射率の短時間での測定データ()から、本技術によりノイズを除去すると()、ノイズのない理想的なデータ()によく一致したデータが得られます。

 


中性子反射率法は、様々な材料やデバイスの表面やその内部にある界面の構造を評価するために用いられています。試料に照射した中性子ビームの反射信号の波長や入射角依存性を解析することで、表面・界面での分子の分布をナノメートルオーダーで評価可能です。測定には、数cm四方以上の試料で数10分から数時間以上、小さな試料の場合にはさらに長時間を要します。そのため、状態が時々刻々と変化する試料を測定する場合には、この測定時間よりも遅い変化を示すものしか評価することができません。一方で、中性子実験は、J-PARCなどの大規模実験施設の限られたマシンタイムを国内外の多くの研究者でシェアしているため、効率良く実験を行うことが必要です。このように、中性子測定では測定の高速化が常に求められてきました。しかし、ただ測定時間を短縮するのでは、信号強度が低下し、データに含まれる統計ノイズが大きくなるため、信頼性が大きく低下します。本研究では中性子反射率のデータ処理にディープラーニング(深層学習)を適用することで、測定データに含まれるノイズを除去し、短時間で測定したデータでも高精度の構造評価が可能な手法を開発しました。

J-PARCに設置された中性子反射率装置での短時間計測で得られるノイズを含む実験データに対して、計算機シミュレーションで生成したノイズのないデータを正解データとして、中性子反射率データに含まれるノイズの特徴を人工ニューラルネットワークによって学習しました。20万以上に及ぶ多数のデータセットによる学習を行うことで、未知のデータであっても正確にノイズを除去して精度の高いデータを予測することが可能になりました(図5-5)。図5-6の青色の点は通常の中性子反射率測定の1/20の測定時間で測定されたデータを表しています。緑色で示された長時間かけて測定されたノイズのないデータと比較すると、データ点が上下に大きくばらついており、短時間の測定では大きなノイズが生じることが分かります。これにディープラーニングによるノイズ除去を行った結果が赤色の点であり、緑色のデータとよく一致し、ノイズが低減されています。測定データに含まれるノイズの大きさを示す指標であるピーク信号雑音比(数値が大きいほどノイズが少ないことを表している)は、約2時間の測定時間で得られる通常の中性子反射率測定ではおおむね30 dBですが、測定時間を1/20にすると22 dBにまで低下します。このデータに本研究で開発したデータ処理を施すと、ピーク信号雑音比は29 dB以上に向上し、通常のデータとほぼ同等の精度が得られました。一方、ディープラーニングを用いない従来のデジタルフィルタ処理では24 dB程度までしか改善されず、ディープラーニングによる高精度化の効果が極めて高いことが示されました。

以上のように、ディープラーニングを用いたノイズ処理技術を開発することで、中性子反射率測定において実験結果の精度をほとんど低下させずに測定時間を1/10以下にまで短縮可能となりました。この技術によって、一定時間内により多くの測定を行えるようになるため、限られた大型実験施設の運転時間を効率的に使用できるようになります。また、これまでの実験では捉えることのできなかった高速なダイナミクスを直接観察できるようになるため、新しい現象の発見につながる可能性があります。

本研究は、日本学術振興会科学研究費基盤研究(B)(JP19H02768)「気相分子によって駆動される高分子材料のダイナミクス」及び科学技術振興機構未来社会創造事業(大規模プロジェクト型)(JPMJMI18A2)「界面マルチスケール4次元解析による革新的接着技術の構築」の支援を受けて行われたものです。

(青木 裕之)