原子力機構では、科学技術基本計画に基づき中性子利用研究や放射光利用研究を通して科学技術イノベーションの創出を促し、科学技術・学術の発展や産業の振興に貢献することを目指しています。そのため、大強度陽子加速器施設J-PARCや、高性能汎用研究炉JRR-3、大型放射光施設SPring-8(図5-1)のビームライン等を活用して、中性子施設・装置の高度化や、中性子・放射光を利用した原子力科学、物質・材料科学を先導する研究開発を行っています。
(1)J-PARCセンターでの性能向上に関する研究開発
J-PARCは、リニアック、3 GeVシンクロトロン、メインリングシンクロトロンの三つの陽子加速器と、中性子、ミュオンを用いて物質・材料研究に関する実験を行う物質・生命科学実験施設(MLF)、K中間子等を用いた原子核・素粒子実験を行うハドロン実験施設及びニュートリノを発生させるニュートリノ実験施設から成り、国内外の利用に供しています。
加速器では、目標である陽子ビーム出力1 MW相当でビーム調整試験を行い、安定な高出力運転のために不可欠なビームロスの低減に関して、3 GeVシンクロトロンで従来の0.2%から0.15%へと改善を進めました。リニアックでは陽子ビームがワイヤ方式のビーム形状モニタに衝突し軌道から逸脱する事象を減らすため、ガスをシート状に形成する方式のモニタを開発しました(トピックス5-1)。今後、運転への実装に向けて開発を進める予定です。
MLFでは入射陽子のビーム出力を前年度の600 kWから700 kWに増加させ、中性子実験装置21台とミュオン実験装置3ラインを運用して151日の利用運転を行い、物質科学、材料科学等に関わる幅広い実験を実施しました。中性子利用実験では、物質の表面・界面の構造解析に関して、約100万にも及ぶデータを学習(ディープラーニング)させることにより、測定データから統計ノイズを除去する方法を考案し、測定時間を1/10以下に短縮しても高精度の構造評価を可能とする手法を開発しました(トピックス5-2)。
また、試料内部のミクロな磁気構造の探索に有効な偏極中性子を得るための偏極スーパーミラーの開発を進め、そのFe/Ge多層膜の最小膜厚が従来の6 nm以下に微細化しても磁化が消失しない条件を見いだし、ニッケルの全反射臨界角の5倍程度であった偏極可能な運動量遷移を6倍以上へ向上させました(トピックス5-3)。この技術を利用し、磁性体の磁気構造解析などの成果の創出が期待されます。
(2)物質科学研究センターでの研究開発
物質科学研究センターは、中性子や放射光を用いた先端測定技術を開発・高度化し、幅広い科学研究・開発分野における革新的成果・シーズの創出を目指しています。
中性子利用研究では、ドメイン構造と呼ばれる蛋白質の高次構造の揺らぎが、触媒反応の舞台となる局所的分子構造を制御していることを発見しました(トピックス5-4)。本研究により、酵素蛋白質MurDの活性に寄与するアミノ酸残基の構造や揺らぎは、ドメインの運動という蛋白質全体の協同的な揺らぎによって巧みに制御されていることが見えてきました。また、高レベル放射性廃液のガラス固化体の原料であるホウケイ酸ガラスの階層構造への添加剤の影響を明らかにしました(トピックス5-5)。本研究により、ホウケイ酸ガラスおいて、ホウ素とケイ素それぞれを多く含むナノドメイン周期構造の形成と消失、また、ナノスケール構造体の形成と抑制がNa2OやZnO/CaO、Li2Oなど添加剤の量に大きく影響されることが明らかになり、ガラス固化体製作技術高度化への貢献が期待されます。
放射光利用研究では、圧電トランスデューサーへの利用が期待されている非鉛圧電材料の局所構造を明らかにしました(トピックス5-6)。本成果は、圧電材料内部に生じる強誘電的ドメインの大きさや形を制御して目的の圧電特性を得る技術(ドメインエンジニアリング)の開発につながるものであり、環境に負荷の小さい圧電材料の設計に指針を与える重要な成果です。また、電子の有効質量が重くなる現象により注目されているユウロピウム(Eu)化合物について、そのエネルギーバンド構造を初めて明らかにしました(トピックス5-7)。Euの4ƒ軌道の電子の電気伝導的性質への関与を明らかにした本成果は、物性物理の分野で重要な問題となってきた“重い電子状態”の形成メカニズムの解明への新たな手がかりとなり、新規の希土類系超伝導化合物の開発などの物質設計につながると期待されます。