5-3 中性子ビームの偏極可能波長領域を大幅に拡大

−“超” 高臨界角中性子偏極スーパーミラーへのブレイクスルー−

図5-7 Fe/Ge多層膜の非鏡面偏極中性子散乱測定とシミュレーションによる散乱強度分布

図5-7 Fe/Ge多層膜の非鏡面偏極中性子散乱測定とシミュレーションによる散乱強度分布

試料(A)Fe:3.5 nm、Ge:2.2 nm、試料(B)Fe:3.5 nm、Ge:1.2 nm、ともに50対層でGe層厚が2 nm以下になると隣り合うFe層間に強磁性層間交換結合が生じ、散乱がFe層の周期に対応する運動量遷移(1.34 nm−1近傍)に局所化します。

 

図5-8 本研究で成膜した中性子偏極スーパーミラーの偏極中性子反射率測定結果

図5-8 本研究で成膜した中性子偏極スーパーミラーの偏極中性子反射率測定結果

磁場に平行を、反平行なスピンの中性子反射率をで、スーパーミラーからの反射ビームの偏極率を●で、それぞれプロットしています。スーパーミラーからの反射ビームは、Niの全反射臨界角の6倍以上までの運動量遷移領域で磁場に平行な成分に偏極されています。

 


中性子はスピン1/2を持つことから物質中の磁気構造に敏感であり、中性子のスピンを磁場に平行または反平行な成分のみに偏極して試料に入射する偏極中性子散乱によって、試料内部のミクロな磁気構造を非破壊で得ることができます。私たちは、今後期待されるJ-PARCの物質・生命科学実験施設(MLF)における偏極中性子を利用した成果創出に貢献するため、中性子ビームを偏極するデバイスである中性子偏極スーパーミラーの高性能化に関する研究開発を進めてきました。中性子偏極スーパーミラーは、強磁性体と非磁性体を交互に積層した磁気多層膜であり、J-PARC MLFで得られる幅広い中性子波長領域を持つ中性子ビームを偏極するため、層厚を変えながら成膜されます。MLF中性子源の性能をフルに活用するには、偏極スーパーミラーの層厚分布のうち、最も層厚の小さい部分を1対層当たり6 nm以下とすることが必要です。しかし、スパッタリングによって成膜された磁気多層膜は、このような層厚の小さい領域ではキュリー温度の減少により自発磁化が消失するので、片方のスピンの中性子のみに偏極することができなくなります。これにより、偏極スーパーミラーの偏極可能領域はNiの全反射臨界角の5倍程度の運動量遷移に制限されるのがこれまでの現状でした。

本研究では、偏極スーパーミラーに用いられるFe/Ge多層膜に対し、MLFのビームライン偏極中性子反射率計「写楽」(BL17)において非鏡面偏極中性子散乱測定を行った結果、図5-7のようにGe層厚が2 nmより小さい領域では隣り合うFe層の間で強磁性的な層間交換結合が形成されることを明らかにしました。これを利用すると1対層の層厚が6 nm以下であってもバルクと同等の磁化を維持できることに着目し、トータル10436層、全層厚約32 μmの偏極スーパーミラーを成膜しました。BL17において偏極中性子反射率を測定したところ、図5-8のようにNiの全反射臨界角の6倍以上(“超”高臨界角)の運動量遷移という2022年5月現在で世界最高の偏極可能域を達成しました。

しかし、本研究で得られた偏極可能波長域をもってしても、MLFで得られる中性子ビームの全波長域をカバーするには十分ではありません。いまだメカニズムが解明されていない半導体スペーサを介する磁気層間交換結合等に関する研究を実施する一方、サイエンスの様々な分野において果たすべき役割が近年ますます増大している偏極中性子の利用についてもさらなる高度化を進める予定です。

本研究の一部は、日本学術振興会科学研究費基盤研究(C)(JP19K12647)「中性子スピンエコー法を用いた多層膜面内磁気構造の実空間における解析手法の探索」の助成を受けたものです。

(丸山 龍治)