1-13 分子シミュレーションでキノコの放射能濃縮の謎を探る

−キノコ色素ノルバジオンAのセシウム結合選択性の評価−

図1-26 キノコにおける放射性Cs濃縮の仕組み

図1-26 キノコにおける放射性Cs濃縮の仕組み

キノコの傘部分に含まれる茶色い色素ノルバジオンAはCs+と結合します。ノルバジオンAはハサミ型分子であり、ハサミの間隔がCs+の直径と合致するとき結合はより安定となります。

 

図1-27 水溶液中でのノルバジオンAのアルカリ金属イオン交換自由エネルギー変化

図1-27 水溶液中でのノルバジオンAのアルカリ金属イオン交換自由エネルギー変化

ノルバジオンA分子と結合したKが、Cs、Naと置き換わる際の自由エネルギー変化()を示します。ノルバジオンAの形として、NBA0:水素イオン(H+)の解離なし、NBA2-:H+が二つ解離、NBA4-:H+が四つ解離、の三つを想定しています。結合の自由エネルギー変化が負であることは、より安定な結合に変化することを意味しています。

 


東京電力福島第一原子力発電所事故により大気中へ放出された放射性セシウム(Cs)の一部は、山林においては土壌表層の菌類、地衣類、樹木等に保持され、特にキノコに濃縮することが分かっています。キノコにおける放射性Csの蓄積はチェルノブイリ原子力発電所事故後に指摘され、特に傘部分にある色素への濃縮が観察されています。キノコに含まれる色素分子の代表例はノルバジオンA(Norbadione A:NBA(C35H18O15))ですが、これはヨーロッパに生息するニセイロガワリや日本ではマツ林に発生するコツブタケ等に含まれる主要色素成分として知られています。ノルバジオンAはセシウムイオン(Cs+)と選択的に結合すると考えられ(図1-26)、これまで実験研究が行われると同時に、古典分子動力学法を用いた理論研究も行われ、その選択的な結合のメカニズムが調べられてきました。Cs+との選択的な結合の謎は未だ分かっていませんでしたが、私たちはノルバジオンAのハサミ型分子形状にあることをつきとめました。

そこで、本研究では、最新のより高精度な量子化学計算手法を用いて、ノルバジオンAとCs+との結合分子の構造やその結合の形成エネルギーを計算し、生体内(水中)での結合の強さを特徴づける結合自由エネルギーを求めました。一般に、生体内にはカリウムイオン(K+)が多く含まれノルバジオンA分子と結合していることから、K+がCs+と置き換わる際の自由エネルギー変化を計算することで、生体内でCsが蓄積する可能性を評価することができます。計算の結果、水素イオン(H+)が二つ解離したNBA2-に対しては、Cs+はK+、ナトリウムイオン(Na+)よりもはるかに安定に結合することが分かりました(図1-27)。これはノルバジオンAにCsが選択的に結合されることを意味します。他のほとんどの生体分子はKとの結合がCsとの結合より安定ですが、ノルバジオンAではCsとの結合が安定となります。また、計算からこの特異な性質はその分子形状によるものであることが分かりました。ノルバジオンAは図1-26のようにハサミ型分子であり、ハサミの間隔がCsのイオン直径と合致することがCs選択性の原因であることが分かりました。キノコの色素にはノルバジオンAの他、バジオンA等のハサミ型類似分子がいくつか見られることが知られていますが、それらの特徴的な形(ハサミ型の形)を持つ色素分子の存在がキノコにおける放射性Cs濃縮の一因として考えられます。

本研究は、原子力機構のスーパーコンピュータ「ICE X」を利用して得られた成果です。

(数納 広哉)