図9-5 鉄結晶のすべりによるらせん転位の移動
図9-6 原子シミュレーションによる鉄結晶中のらせん転位線の時間変化(は時間変化を表す)
金属の変形は大まかに弾性変形と塑性変形の2種類に分けることができます。弾性変形の場合、ばねの変形のように金属に加えている力を元に戻せばその変形も元に戻ります。塑性変形の場合には、金属内部の結晶面がすべってしまい元には戻りません。鉄は低温において脆くなる性質がありますが、結晶がすべりにくくなること、すなわち塑性変形しにくくなることが原因であると考えられています。低温での鉄の塑性変形の多くは、図9-5(a)に示したらせん転位と呼ばれる線状の格子欠陥がある結晶面を移動することによって起き、この結晶面はすべり面と呼ばれています。らせん転位が移動するためのしきいエネルギー値が高いことが、鉄の低温での塑性変形しにくさ、すなわち脆さの原因になっています。
さて、鉄の結晶学的なすべり面は量子力学的な計算によって求めることができ、その結果は低温の実験結果に一致しています。しかしながら、温度を室温程度に上げていくにしたがって理論値からずれていくことが知られています。具体的には低温では図9-5(a)において青い矢印のようにらせん転位が横にまっすぐ進みますが、温度が上がるにしたがってその方向が赤い矢印のように変化します。鉄は非常に身近な材料で、その機械的特性は工学的にも重要であるにもかかわらず、この現象のメカニズムはまだ理解されていません。そこで私たちはスーパーコンピュータを用いて、原子シミュレーション法によってこの温度変化の研究を行いました。
原子シミュレーション法では原子間力を計算するモデルが必要で、量子学的計算結果をフィッティングして作成したものを使用しました。図9-5(b)は、シミュレーションの結果を示したもので、100 Kではらせん転位が横にまっすぐ進んでいくのに対し、300 Kでは{112}面と呼ばれる面に沿って斜めに進んでおり、実験で知られている現象を再現することができました。図9-5(b)を詳しく見ると転位の位置が平均して2回に1回、一つ下層に移動しています。このような現象を交差すべりといいますが、これが高温で転位の縦の移動成分が観測される原因と考えられます。高温における交差すべりの現象を詳細に調べたところ、図9-6に示すように、揺らぎによって転位のある部分だけが別の層に移動して、それをきっかけとして、らせん転位全体が別の層に移動することが分かりました。すなわち、温度の上昇による格子振動の増加が原因となって、交差すべりが生じ、図9-5で示したような実験で観測されているすべり面変化が起きていると理解できます。
原子力材料は経年変化によって徐々に脆くなりますがその原因はよく分かっていません。らせん転位は金属が脆くなる現象のパズルを解くための重要な部品です。今回の研究成果は基礎科学的なものですが、金属の破壊現象など原子力材料研究の要となる研究に応用可能です。
本研究は、日本学術振興会科学研究費補助金基盤研究(C)(No.26420865)「原子炉構造材の強度劣化評価に資する照射欠陥-転位相互作用の研究」の助成を受けた、福井大学との共同研究による成果です。
(鈴圡 知明)