1-12 セシウムを長期にわたり保持する地衣類の謎に迫る

−計算化学が解き明かす代謝物とセシウムの錯体形成力−

図1-24 地衣類:(a)その生息している姿と(b)組織構造及び分泌される代謝物と(c)セシウムとの錯体構造

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図1-24 地衣類:(a)その生息している姿と(b)組織構造及び分泌される代謝物と(c)セシウムとの錯体構造

地衣類(キウメノキゴケ:サクラの樹幹に見られる緑色の着生物)が生息している様子(a)とその内部構造の模式図を示します。ウメノキゴケなどでは、各層にて異なる代謝物を分泌します(b)。計算によると、上皮層の代謝物は水素が一つ離脱した状態、髄層の代謝物はそのままの状態で、各々、セシウムを含むアルカリ金属元素と強い錯体形成力を示します。(c)は計算で得られたプロトセトラール酸とセシウムの錯体構造です。

 


地衣類とは菌類と藻類(またはシアノバクテリア)の共生体で、岩や樹木の幹表面(図1-24(a))のほか、家やビルの壁等にも見られ、身近な場所を注意深く観察すると、意外にも簡単に見つけることができます。このように、至るところに生息している地衣類は、他の生物と比べ、放射性セシウムを長期間にわたり保持する性質が以前から知られていましたが、その保持機構についてはほとんど分かっていません。もし、その保持機構が分かれば、どのような生物が放射性セシウムを長期間保持するのかについてのヒントが得られ、生態系での放射性セシウムの動態を理解する上で重要な知見になると考えられます。

本研究では、その謎を解き明かすため、地衣類内の菌類が生成する代謝物の一部が放射性セシウムと強く錯体を形成することで長期の保持が可能になるのでは?という仮説を立て、その検証を計算化学により試みました。

まず、福島で実際に放射性セシウムを保持していると確認されたウメノキゴケ類が産生する代表的代謝物を選び出し、その後、それらとセシウム及びその他のアルカリ金属元素との錯体形成力を、量子化学計算手法を用いて計算します。

しかし、室温かつ水中という生体内の環境では、出現する錯体構造は一つではなく複数現れるため、それらを効率良くかつ高精度に求める必要性があります。この問題に対しては、2段階に計算を分ける手法、すなわち1段目では、精度は高くないが高速計算が可能で、錯体が取り得る複数の構造を取得し、2段目では、1段目で得られた複数の構造を基に高精度計算をスーパーコンピュータで並列に計算する手法を採用することで計算を大幅に高速化し、多くの錯体構造を計算することに成功しました。

計算によると、上皮層で産生されるウスニン酸とアトラノリン(図1-24(b))では、水素が一つ脱離した状態でセシウムを含むアルカリ金属元素と強い錯体形成力を示す一方、髄層で産生される代謝物のレカノール酸とプロトセトラール酸では、水素が脱離しないそのままの状態で強い錯体形成力を示します。特に、プロトセトラール酸では、計算で得られた錯体構造(図1-24(c))から、セシウムが三つの赤い部分で示された酸素と配位し、最も強く錯体を形成することが分かりました。これらの結果が意味することは、地衣類がアルカリ金属元素を含む中性~弱アルカリ性の水と接した場合は、上皮層の代謝物が水素を脱離させ、強くアルカリ金属と錯体を形成する一方、弱酸性~中性の水の場合、髄層の代謝物がアルカリ金属と強く錯体を形成できることを示しており、地衣類は性質の異なる水と接してもセシウムを含むアルカリ元素を十分に保持できる能力を失わないことが示唆されました。

以上、実験・観察による研究が困難なため、放射性セシウムの長期にわたる保持機構は謎とされていましたが、本研究により、環境の変化に応じ、複数の代謝物が適材適所で、その保持に関与しているという可能性が示唆されたことから、地衣類のセシウム保持機構の解明に一歩近づけたと考えています。今後は、他の生物についても同様の手法を用いて、セシウム保持だけでなく、代謝物一般の機能についても調べ、生命の不思議を紐解くことに貢献したいと考えています。

(町田 昌彦)