3-5 高効率オルト-パラ転換触媒設計への知見

−ステップ表面に吸着した水素分子の高速オルト-パラ転換の実証−

図3-10 水素分子ビーム、光脱離法及びレーザー分光法を組み合わせたオルト-パラ転換時間測定法の開発

図3-10 水素分子ビーム、光脱離法及びレーザー分光法を組み合わせたオルト-パラ転換時間測定法の開発

水素分子ビームの照射により水素分子を固体表面に吸着させ、光脱離レーザー照射により水素分子を固体表面から光脱離させます。脱離した水素分子の核スピン状態をイオン化レーザーにより弁別検出することで、オルト水素とパラ水素の存在量が分かります。脱離するまでの時間を制御することで、表面での水素分子の核スピン状態変化を精密に追跡することができます。

 

図3-11 パラジウム表面に化学吸着したオルト水素及びパラ水素の存在量の経時変化

図3-11 パラジウム表面に化学吸着したオルト水素及びパラ水素の存在量の経時変化

オルト水素の存在量は吸着時間とともに減少し、一方パラ水素の存在量は増加しました。これらの経時変化を指数関数でフィッティング解析し、転換時間が約2秒の高速オルト‐パラ転換が起きていることを明らかにしました。

 


水素は、温室効果ガスや有害ガスを発生しないクリーンな燃料として期待されています。水素分子にはプロトンが核スピンを持つことに由来して、パラ水素とオルト水素と呼ばれる2種類の核スピン異性体が存在します。水素を液化貯蔵する際に、オルト水素が混在する水素ガスを液化すると、オルト水素の持つ回転エネルギーに起因する発熱が起きるため、前もってオルト水素をパラ水素化してから液化することが必要です。これは、水素液化におけるボイルオフ問題と呼ばれています。オルト-パラ転換は、固体表面で促進されることが知られていますが、その効率は十分ではなく、また物理的なメカニズムも未解明の点が多いのが現状です。したがって、オルト-パラ転換メカニズム解明とそれに基づく転換を促進する触媒開発は、今後の水素のエネルギー利用において極めて重要な課題です。

これまでのオルト-パラ転換の研究は、固体表面に物理吸着した水素分子に主眼が置かれていました。しかし特異な表面構造を有する固体表面では、水素は物理吸着の他に、化学吸着することが知られています。過去の研究では、固体表面に化学吸着した水素分子の転換速度が物理吸着の場合に比べて速いことが示唆されていましたが、従来の実験で用いられた表面への水素の供給及び熱脱離法では転換を追跡する時間分解能が不十分であったため、直接転換時間を測定することが困難でした。私たちは、分子ビーム、光脱離法及びレーザー分光法を組み合わせた新たな転換時間測定法を開発し(図3-10)、時間分解能を従来の測定法よりも2桁改善させることに成功しました。この手法を用いて分子の核スピン状態変化を追跡することで、表面温度50 Kでパラジウム(Pd)のステップ表面である(210)面に化学吸着した水素分子のオルト-パラ転換時間が2秒程度であることを実験的に決定しました(図3-11)。この転換時間は、過去に報告されている物理吸着系のものと比べて1/100~1/1000程度であり、オルト-パラ転換が非常に速く起きていることを意味しています。Pd(210)表面では、ステップ端のPd原子上に水素分子が化学吸着することが知られています。この高速オルト-パラ転換は、パラジウムの特異なステップ表面構造に起因した水素分子と基板との相互作用の強さを反映したものです。本研究成果は、オルト-パラ転換における表面構造の重要性を示すものであり、新たな高効率な転換触媒設計につながることが期待されます。

本研究は、日本学術振興会科学研究費基盤研究(A)(JP17H01057)「固体表面における高感度スピン検出法の開発と遷移金属酸化物への応用」、新学術領域研究(研究領域提案型)(JP18H05518)「水素の先端計測による水素機能の高精度解析」、基盤研究(C)(JP20K05337)「固体表面での水素のオルト-パラ転換におけるエネルギー散逸過程の解明」、文部科学省卓越研究員事業及び原子力機構黎明研究の助成を受けたものです。

(植田 寛和)