3-5 なぜ1原子層のグラフェンで水素と重水素を分離できるのか?

−量子トンネル効果で重水素を大量生産−

図1 (a)グラフェンと(b)固体電解質膜を用いた電気化学反応系の概念図

図1 (a)グラフェンと(b)固体電解質膜を用いた電気化学反応系の概念図

陽極と固体電解質膜の間にグラフェンを入れるのがポイントです。陽極で水素分子(H2)と重水素分子(D2)がイオン化され、そのイオンが陰極に移動する過程で、グラフェンにより“ふるい”にかけられます。

 

図2 (a)H/D分離能と電圧との関係、(b)水素イオン(H+)と重水素イオン(D+)のポテンシャルエネルギーの電圧による違い

図2 (a)H/D分離能と電圧との関係、(b)水素イオン(H+)と重水素イオン(D+)のポテンシャルエネルギーの電圧による違い

低電圧では、グラフェンのエネルギー障壁が高いため、障壁をすり抜ける量子的な移動が優勢です。高電圧では、エネルギー障壁の低下で障壁を乗り越える古典的な移動が律速となります。

 


重水素(D)は、水素(H)の安定同位体であり、半導体や有機EL、さらに医薬品などの産業分野や未来のエネルギー源として期待されている核融合に必須の材料です。この重水素は、水素中に含まれる微量の重水素を濃縮分離して得られますが、化学的性質が似ているためHとDを分けるH/D分離能が悪く、また極低温で分離する必要があるため製造コストが高くなることが課題です。

グラフェンは、炭素原子が六角形に結合したハニカム構造を有する、炭素1個分の厚さのシートです(図1(a))。最近、このハニカム構造の中心部位の“孔”を、重水素イオン(D+)よりも水素イオン(H+)が選択的に透過、常温で高いH/D分離能を発現することが示唆されています。このため、低コストの重水素濃縮分離材料として注目されています。しかしながら、複雑な材料開発や実験系の構築といった困難さにより、その分離能のメカニズムは未解明のままでした。本研究では、固体電解質膜を用いた電気化学反応系に着目し、グラフェンのH/D分離能の起源を解明しました。

図1(b)に示すように陽極に水素分子(H2)と重水素分子(D2)の混合ガスを供給して電極間に電圧を加えると、H+とD+が生成し、これらイオンが陰極に流れる反応が起きますが、このイオンが流れる部位にグラフェンを組み込んだ反応系を構築しました。グラフェンで“ふるい”にかけられたイオンは、陰極で水素同位体ガスに変換され排出されます。このガスを四重極質量ガス分析によって評価した結果、D2よりもH2が多く排出されH/D分離能が発現することを確認しました。さらに詳細な実験を行った結果、電圧が大きいほど分離能が減少することが分かりました(図2(a))。理論計算により検証した結果、低電圧領域では、量子トンネル効果によりH+とD+がグラフェンのエネルギー障壁をすり抜ける移動プロセスが支配的となり(図2(b))、H+とD+の質量差に伴う透過確率の違いを反映した高い分離能が発現することが分かりました。一方、電圧を大きくすると、グラフェンのエネルギー障壁が減少し分離能がほとんどない熱エネルギーによる古典的な移動プロセスが支配的となり分離能も減少することが分かりました。

以上のことから、実験及び理論計算により、グラフェンのH/D分離能は、グラフェンを透過するH+とD+の量子トンネル効果が起源であることを明らかにしました。

本研究の反応系では陰極にH2が選択的に排出され、陽極にD2が濃縮されます。今後は、本研究成果の理論と実験を合わせた設計指針に基づき、グラフェンの量子トンネル効果を利用した常温で高分離能を持つ重水素分離デバイスの構築を試みます。

本研究は、日本学術振興会科学研究費基盤研究(B)(JP21H01751)「水素イオン透過ヘテロ電極界面による水素同位体分離能の制御」の助成を受けたものです。

(保田 諭)